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ねむれ ねむれ、 そのあとは。

真夜中のお散歩の後、5日間ほど泥のように眠った。


バイトも休んで寝続けていたんだけど、単純に失恋のショックで寝込んだ、という感じではないような気がしてる。
日曜日の深夜に、私は確かに〈世界〉に触れた気がするの。
あのからっぽな解放感や、風が吹き抜ける感覚は、なにか特別なものだったと、今でも思ってる。
たぶん、傷を抱えたアンバランスのまま、〈世界〉に開かれてしまったから、そのまま〈社会〉に戻ることができなくなってしまったんだと思う。
〈世界〉に開かれ続けることもなく、〈社会〉に戻ることもなく、境界線で閉じこもっていたかった。
なんとなくモラトリアムみたいな5日間だった。

昼も夜も関係なく眠り、少し目が覚めている時間は、宮台先生と坂口恭平さんの声を聴いていた。
心に余裕がないと、政治の話にはほとんど関心が向けられなかったけど、宮台先生のお話は、政治の話をしていても、最終的に「生き方」「在り方」のお話になるので、突然心に刺さって号泣したりした。
恭平さんの自由気ままな素直な言葉たちに、心が軽くなったりした。
気分が塞いでどうしようもない時間もあったけど、少しでも前を向きたくて、自分で自分にいろんな言葉をかけたりもした。

がんばればいいことがある、わけじゃない。
生きていればしあわせになれる、かもわからない。
いいことなんてないかもしれない、何ひとつ思い通りにならないかもしれない。
それでも自分には生きる価値があると信じて、自分の翼を信じて、生きる。
こうなりたい自分、がいる
こう生きたい自分、がいる
かけ離れているように感じるけど、その自分はすでに今の自分の中に存在する、とも感じる
その部分を出すか出さないか、の違いだけ
調子乗って生きたい。


宮台先生の映画批評ラボで、「女は一人で飛び、男は女の翼に乗って飛ぶ」という表現がとても印象的で、そのことをずっと考えてた。
私にも飛ぶ力があるのかな、誰かをその翼に乗せて〈外側〉に連れていってあげられる力があるのかな、って。
でもこれは考えてもわからなくて、実践して体感していくしかないんだろうな、と思った。あると信じて行動していくしかないんだろう。

1日2日泥のように眠るのは、蓄積した疲労を回復させたり、少し現実から距離を取って心を回復させたりするのには良いかもしれないけど、5日はやりすぎた。
身体を動かさないと、心も動かなくなってきて、どんどん動くのが億劫になってしまって、このままじゃ抜け出せなくなる、ってなってしまった。
どれだけ頭を動かしてみて、前向きな言葉をかけてみても、結局人間も動物なのだ。行動しなければ、エネルギーが循環しない。
さすがに4日目あたりから少し焦りはじめた。このまま〈社会〉に戻れなくなったら、どうしよう。

今、なかば強制的な外出により、身体と心が少し動き出したところ。
5日ぶりの外出は、社会的な仕事ではなく、私を〈外側〉に連れていってくれるお洋服屋さんでのショッピングでしたとさ。


泥のように眠った5日間。
サナギか繭の中にこもっていたように感じる。
たぶん、これまでの私はいったんドロドロに溶けて、いろんな過去の記憶や思いが混ざり合って、新しいカタチを作っていくんだ。

今の私は、たくさんは持っていない。ある意味身軽で、身ひとつで、なんでもできるし何にでもなれる、状態なのかもしれない。
失くしたものを数えて悲しむこともできるけれど、失くしたからこそ得られたものもあるんじゃないかな。

サナギから、蝶になるのか蛾になるのか、何になるのかは分からない。
でも何になったとしても、この先も全然思い通りにならないことばかりだとしても、私は私の人生をおもしろがりたい。
眠り続けた5日間も。必死に〈社会〉で生きる日々も。ときどき〈世界〉への扉を開きながら。

ひとつだけたしかなことは、私は〈社会〉には完全になじめない〈周辺人〉であること。生きにくいけれど、そのことに誇りを持って生きたい。
世間一般に言われる「しあわせ」よりも、自分の中の「最高」を追い求めていく。
〈周辺人〉として表現をしていく。〈世界〉への開かれを求め続ける。
そうしていくうちに、本当に「飛ぶ力」を得られるんじゃないかな。

おもしろがろう。

人生は遊園地だ。(by坂口恭平)


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