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教会の聖堂で泣いていた日々。【浮気されたのによりを戻した話】

「失恋した人、推しが卒業した人は遺族」だという記事、たくさん読んでくれてありがとう。

あの記事でまた新たな繋がりも出来た気がして、わたしの当時の慟哭が無駄になっていないことが嬉しい🌈


数年前、誕生日前日に浮気が発覚した経験を持ちます。

誕生日が大好きなわたしは楽しい翌日を信じて明日について彼氏にLINEしながら近所のカフェで過ごしていた。

「信じていた」と言いつつどこかでもう気持ちが離れていることには気づいていて、さらには浮気相手の女の子の目星もついちゃって、
それが黒だっていう確証をSNS徘徊している時に見つけてしまうのです。

そこからはもうドラマのようだったし亡霊のように数ヶ月を過ごした。

親より先に逝くことはどうしても選べなかったからなんとか生きていたけれど

このままベランダから飛び降りたらどうなるかな?
このまま踏切の中に入れば…

毎日色んなことを考えた。

それこそ占いにお金溶かしまくった。

好きだった音楽すらも何故か耳障りに感じて聞けなくなって、
大好きな自分のお城なはずの自宅で過ごすのも思い出がありすぎてつらい。


そこでふと思い出したのが、教会の聖堂は洗礼を受けた信徒以外にも解放されていて自由に入れるということ。(教会ごとにルールや状況は違うと思います)

以前セッションを受けたメンタルコーチの女性に教えてもらって訪れたことがある教会に行ってみた。


青空と教会のコントラストの美しさに泣けたのを今でもよく覚えてる。


聖堂はもちろんおしゃべり禁止、静粛に過ごす場所。

ポツポツと座ってる人がいるけどみんなひとり。

「あの男性は大事な娘さんを亡くしたりでもされたのだろうか」などと勝手に想像を巡らせたり…。

静謐な空間で「なんでそんなことしたのよ…」って静かに泣いて、「癒された」と思えたかはもう分からないけれど

そこで過ごす時間は救いだった。

音楽もかかってない、人の声も聞こえない、なんだか事情のありそうな人がまばらに座ってる、不思議な空間。

コロナ禍に入り行かなくなったけれど久しぶりに行ってみようかな?

あの頃のわたしに、「この絶望的な日々を2024年にはこんなブログ書いて、思い出として振り返ってるから、大丈夫だよ」って声をかけて、そっと抱きしめたい。


物理的にそれは叶わないとしても、気持ちだけなら出来るしね
わたしの文章が、今そんな渦中にいる誰かの救いになれれば良いな。


当時、浮気の疑いが確信に変わって相手に問い詰めて認められて…

すぐその場で捨て台詞でも吐いて立ち去ってやれば良かったのにね。

あまりにも大好きな人で、数ヶ月の保留期間の間にわたしがアクションしかけまくって
結局1年半くらい元サヤで過ごしたんだ。

浮気されたってこともふたりの間でネタにしたりして、
春の夜の公園をお散歩して…


ちょうど今くらいの時期だったなあ。

なんていうか異様な空気感だった。

修復できるはずの無い問題が起きたのに無理やり元に戻って…。


それでもこんなのダメだって思ってたくさん色んな事をして離れようとして、お金も時間も使ったなぁ。

こんなにも人を想えたわたし、素晴らしいじゃん!!


まだ好きなのに離れるのってすごく難しい。

「別れの作法」的な恋愛本もたくさん読んで、去り際の美しい女に憧れたけど、

そんなに簡単じゃなかった。

とことん気の済むまでやり尽くして、もうこの人の気持ちはわたしには向かないんだって悟って、スーッと離れた最後の日まで


ただただその人のことが好きで諦められなくてがむしゃらに生きた。

そんな自分を誇りに思うよ🌸

おわり。




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