会って話すことはデザイン
先月は佐野元春さんだったなぁ。
さて、今月は何にしよっかなぁ。
それにしても佐野元春さん、いいよなぁ。
まぁつってもおれはカフェボヘミアまでなんだけど。
それ以降はブルースとかギタリストを追っかけることになるんだよね。
ジミヘンにはほんと家族全員が迷惑してたな。
オカンが「パープルヘイズ」のイントロ、
「超ウルトライントロクイズで勝てるぐらい聴かされたワ」
言うてたから。知らんけど。
はぁ~…んなことはどうでもええねん。
なんぞおもろいネタないかなぁ…。
あ、そうや。おもろいといえばあの本、おもろかったなぁ。
あれ、会話の本やけどなんか読んでるうちにデザインのこと言うてるみたいに思えてな。
デザインておもろいよなぁ。デザインのことわからんでもおもろい。
だってなんか魔法みたいやん。魔法のようにいろんなものが出てくるから。
優れたデザイナーが生み出すものってワクワクドキドキ、で陳腐化しにくいんだよね。
亀倉雄策さんの1964年開催の東京オリンピックのグラフィックデザイン、今みてもカッコええよなぁ。
でもご本人はこうおっしゃってる。
「僕の功績はシンボルマークをデザインしたことではない。作ろうと提案したことだ。
それまでの大会ではシンボルマークなんて存在せず、五輪マークしか使われなかった。」
スゴない?これ。
ピクトグラム(伝説のデザイナー・田中一光さんなど)がこのオリンピックから始まったってのは結構知られた話ですが、
今ではオリンピックに限らずあらゆるスポーツイベントに当たり前に存在する大会シンボルマークそのものが
実はこの1964年の東京オリンピックからだったんですよ。
作ろうと提案してホントに作っちゃった亀倉さんに世界中のデザイナーが拍手喝采したことでしょう。
デザインという魔法の話しはほかにもいろいろあります。
最近の話しは知らないけど、SONYのVAIOやタケフナイフビレッジの誕生の物語はだいすきです。
VAIOのロゴはなぜ凹文字でスタートしたのか、刃物のデザインがなぜ「ビレッジ」になったのか、とか。
おもしろいよ。
そんなことを久しぶりに思い出させてくれた「会って、話すこと。」。
本の内容は簡単に言えば「会話に悩む人の問題解決方法」で、その手法がデザインのそれと同じだと感じられます。
「会話」というものを問い直すことの必要性を訴え、
勉強して知識を蓄えること、
大ボケ(アイディア)をかましまくること、
すべての人に受け入れられるわけではないということ、
論理構成、情熱、倫理観・哲学がなくてはならないということ、
「何を言わないか」をよく考えること、
相手と同じ景色を見ること、
これらはすべてデザインにおいても必須のことではないだろうか。
一方、デザインとよく混同されるのがデコ―レーションですが、これは中身を変えず外側を綺麗に飾り立てます。
これとよく似たスタンスなのが「既存の会話術の本」ではないかなと思いました。
主にビジネスの場において、テクニックを活用して相手より優位に立つことが目的の本です。
「会話の本質」も「会話をする人の人間性」も問いません。
これはこれで間口を広くとって敷居も低くして多くの人に手に取ってもらう。
その中には結果的に何かが解決したり、より深く考えるきっかけになったりという人が多くいるかもしれない。
ただ、この言わば「デコレーション手法」では問題が解決しない人も、実は結構いるんじゃないかということです。
この対比によって「会って、話すこと。」がデザインの本に見えてしまうのかも。
まぁ面白いのはデザインのように見えるからだけじゃなく、
この著者の田中泰延(たなかひろのぶ)さんが面白くて。
この方、1969年、大阪府豊中市生まれ。私と同じなんです。
いやぁ地元の同級生でこんな面白い人がいたとは。
「はらっちょ、はーぼー、まっちゃん」の3人には死ぬかと思うくらい笑わせてもらったけど、
豊中にはまだすごい人がおったw
そんなわけでシンプルにおもろい本なんで。
人工呼吸器つけてる人は笑いすぎてアラーム鳴るから
ヘルパーさんやご家族にあらかじめ「鳴るから」言っといたほうがいいかもしれません。
あ、もちろん会話に悩む人たちにとって金言が盛りだくさんですよ。実践するのは難しいかもしれませんが。
ではではこの辺で チャオ。
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