美術館の掛け軸に近づくのを邪魔するキャップのつばのように

9月なのに強い陽射しを除けるため、出かけるときはまだキャップを被るようにしている。その日の行き先は美術館だった。室内に入ったら陽除けの必要はないけれども、その施設に備え付けの庭園にすぐ出る予定があり髪型も整えていなかったので、被ったまま陶器や水墨画の展示を見て周った。気になった蘭竹図があり、少し前のめりになったとき、展示品を守るガラスにキャップのつばが当たった。その掛軸の価値がわかるには教養が足りていないのは明らかで、これ以上は近づくなと言われている気がした。また不注意でつばを当ててガラスを傷つけてはならないと思って館内ではキャップをとることにした。

そのときのこともあり、次の日は髪をしっかり整えてキャップをかぶらずに出かけた。帽子がなければこんなにも陽射しは顔を焼くのかと、この夏これまであのつばがどれだけ私のことを守ってきたのか思い知った。でもその後人と会う予定があって、そのときはどうせ帽子を脱いでいただろうから、辛いのもひとときだった。そのとき会った人とはこの夏何度も会っていて、キャップをかぶって会いにいっていたけれど、話すときは室内屋外に限らず帽子を脱いでいたと思う。美術品と他人との扱いに差をつけさせる見返す視線のありなしに、私の顔の皮膚はそんなに敏感らしい。

何日か後の早朝、スーパーへちょっとした買い物をしに行く必要があったけれども、きっと二度寝するから身だしなみを整えるのもおっくうでTシャツとジャージのまま出ていこうと決めた。髭を剃っておらず寝癖も残る首から上を晒すのは忍びないと思い。帽子掛けの一番上にかかっていたキャップを手に取った。顔を隠せるだけでなく、頭に何かをかぶっているだけで着の身着のままといった感じは一気に薄まって外に出やすくなった。

あのとき視界の外で起こった、美術館のガラスとおでこの上のでっぱりがぶつかり鳴らした「コツン」という音によって、キャップをかぶることによって顔の前つばの下にできる空間のことに初めて思い至った。見るときはあってもよくて、見られるときにはあってはいけなくて、見られたくないときはあってほしいその隔たりを普段からなんとなく身にまとっているらしい。今となってはあの衝突音が、私が近づこうとした蘭竹図がこちらの心をノックした音にも聞こえる。見られないように顔を隠す者がのぞき込んでくる恐怖を解消してあげてよかったと安心した。美術品にも見返す視線はあるのだと心に留めておくことで、次に鑑賞するときからより豊かな体験ができるかもしれない。

陽除けのために帽子をかぶるのは、そうして顔にかかる影によって外からやってくるものを遮断することである。それによって陽射し以外のものもシャットアウトすることができる。そう考えると、この夏の強い熱線は私たちと世界のあいだのいろいろなところに隔たりをもたらしてしまったかもしれない。

もうすぐ陽射しの強さも弱まってくるころ。秋は、帽子をかぶらずに出かけよう。


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