見出し画像

暑い、臭い、汚い、うるさい。その奥にあるもの。

2023.05.30
1か国目は、タイ・バンコク
中でも、いわゆるチャイナタウンとして中華街が栄える、YaoWarat(ヤオワラート)に滞在した。

想像していた通りの、タイの風景。
暑い、臭い、汚い、うるさい。
表面的な事象にだんだん支配されていく自分が、とても薄っぺらく感じる。

料理人の弊害で(性格もあるけど)、屋台の料理を食べる勇気が出ない。
そこには衛生面という概念は存在しないに等しくて、生肉や生魚、出来上がった料理でさえ、約35度の高温・90%の湿度に常温でさらされていた。
何よりこの下水と干物(というより干からびたモノ)、10回くらい使った揚げ油を混ぜたような風が通り抜ける中で、人々がなぜ飯を食えるのかすら理解できなかった。

500メートルくらい歩いて物色しては、また同じ通りを戻る。
路地裏はまだ怖かった。荷物をたくさん持っていたからスリに遭いそうだし、何より得体の知れないモノが店頭に並び過ぎている。

ここに1週間もいるのか。どう見積もっても無理そう。

さらには容赦ない猛暑と、
到着してすぐに、旅に必要なワクチン(今回の旅ではアフリカや南米も訪れるため、少なくとも8種類のワクチン接種が必須。ただし、国によって違いあり。)を接種した影響もあって、体がひどくだるい。
※ワクチン接種については以下リンクを参照

さすがにこのまま何も食べないと倒れる気がして、人生で初めて、死ぬ気で「食料」を探した。
僕にとっての、食料。常に安全な環境にいて、食べることに恐怖など感じたことのない僕にとっての、食料。

朝の9時30分に空港に到着して、恐る恐る(氷で当たる確率が高いと聞いていたのに、伝え忘れた)パッションフルーツソーダを飲んだ以来、何も口にしないまま、時刻は既に17時を回っていた。

どうしようもなくなって、
とりあえず沸騰している汁物ならどうにかなるかもしれないと、
猛暑の中常温でワンタンを包んでいる、ワンタンをひたすら薦めてくるヌードル屋で、ワンタンなしの蟹ヌードルを食べた。
1杯 80バーツ 日本円で約320円

一口食べて、食べても大丈夫な味だとわかった。
それがわかった二口目(料理としての一口目)にはもう覚悟が出来ていて、不思議と料理に集中している。

あっさりとした優しめの蟹だし(とかいろいろ。たぶん。)のスープをベースに、チャーシュー(まな板とは?という問いを抱くような汚い木の板の上でスライス)、ゴロゴロとした蟹のほぐし身(常温で山積みにして保管)、何かの肉の細切り、青菜、当たり障りのない中華生麺(なぜかこれだけ冷蔵ストッカーから取り出している)、最後にフライドオニオン的なもの(にんにくらしさもある)を振りかけてスープに香ばしさを与えていた。
塩加減もばっちり。

なんだ、いいリズム刻んでるじゃん。
しかも、まさかの引き算の料理。
なんというか、このリズムを生み出すために必要最低限のものだけで出来上がった一杯。
そんな感じ。

そしてさらには、卓上に用意された3種の調味料が秀逸だった。
唐辛子フレークと、砂糖、生唐辛子入りの酢。以上3種。うま味と塩味、アクセントに香ばしさが加えられたドシンプルなスープがベースにあって、テーブルの上で味覚が完成するような仕組みが成り立っている。
そしてそれぞれの要素が重複することはなくて、互いに必要な能力のみを発揮する。

ワンタン入りを頼んだ仲間に、ワンタンがダメな味がすると声を掛けられたので、
なんかテキトーに会話を挟んで、改めて残ったスープを口に運ぶと、あれ。
なんてことない、まぁおいしいくらいの、ただのヌードル。
カップラーメンのほうがうまい。それくらいのヌードル。

たぶん、食べることへの恐怖を抱いていた反動が大きすぎて、五感が研ぎ澄まされていたんだと思う。
もしくは、全身を全力で使って、食を体験したからかも知れない。
参宮橋にあるイタリアン、Regaloが好きな理由は、シェフとスーシェフの臨場感ある掛け合いと勢いがそのまま一皿に乗っかっていて、こっちも負けじと全力で食べようという気持ちになるから。

種類は違うけど、全身で、全力で食に向き合ったとき、はじめて自分の感性をフル活用できるのかな、なんて思ったり、、、
タイの、バンコクの、ヤオワラートのこの環境が僕の全力を引き出して、ある意味で、この一食を最大限に感じさせてくれた。

暑い、臭い、汚い、うるさい。
でも、その奥にあるタイ料理の魅力が垣間見えた気がした。

続く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?