5月3日「ありえないからあきらめよう」

「完璧」という二文字から遠い人ほど、完璧を求めがちな気がする。

イライラが、止まらない。

普段お世話になっている人から「明日13時30分に手伝いに来れたら来て」と言われた。「中途半端な時間…というか、明日は20時からホームパーティーあるので、あまり消耗したくないのだけれど」なんて言えるはずもなく。「明日は夜まで一息つける時間と場所がほしいな」と上の空だった今日。

「おにぎりつくったから食べて」と言われた。一時間前に食事したばかりで、正直辟易とした。私用に作ったのだろうか。ありがとう、とは言えない。私は食べたいものを食べたい時に食べたいので、この手の親切は、なんというか、しんどい。

あと、やわらかい米を炊く人、一個のおにぎりを大きく作る人、おにぎりに変化球な具材を入れる人にはどうしても塩対応になってしまう。普通の塩むすびで良いのだが。本当にワガママである。

家に帰ると、マンションの管理人室から「火事です」と警報が鳴っていた。他の部屋で火災報知器が誤作動している。二日連続三回目。私が住む部屋は管理人室から最も近いので、この手の誤作動がすぐ分かる。聴覚過敏に生粋の神経質が加わるので、イライライラ。

「ってか、家を出る前も火災報知器が鳴っていて、警備会社呼んだばかり」「マンションの設備から警備会社に警報を知らせる仕組みが機能していないから、わざわざ私が呼ぶハメになる」
「ってか、この不具合を管理会社にわざわざ文書でまとめて指摘したのに、それから2カ月、何も変わっていない」
「そもそも警備会社は数時間前に来た時にきちんと対応したのか」

はぁ。これだけイライライラして寝れるんかいな。ってか、明日は力作業にホムパ。睡眠がパフォーマンスに直結するのになぁ。あぁ、3日後は友人たちと午前中から出かける予定があった。3日後、調子良いんかいな、自分。良くないと困るで、ホント。なぜかエセ関西弁。

警備会社の到着を待っていると、エントランス手前にズラリ並ぶポストにチラシを投函している人が。「どこかで見たことがある」と思って、声をかけたら、一年前くらいに友人が店長だった飲み屋でたまたま隣の席になって話したことがある人で、Wikipediaの個人ページがあるくらいの有名人。

そんな人が地道に作業をしている。不意を突かれてなんだかほっこりしたが、その気持ちの後にやってきたのは「実績がある人で、性格もハナマルな人がこんなに頑張っているのに、自分ときたら…」。心が切り替わった音がした気がする。

明日の心配を今からするのはたぶん意味ない。3日後の心配なら尚更。「これは良くないことが起きている…」と直感を働かせてやってきた、管理会社の管轄外の人に「わざわざありがとうございます。ゴールデンウィーク中なので出来ないこともあるでしょうから、とりあえず明けにすぐ対応をお願いします」と告げる。誤作動がいつ起こるかは、もう運である。それで寝れなかったり、起こされたりしたら、もうあきらめよう。

よく考えれば、ホムパの主催者は「タイミング合えば、ふらっとおいでねー」とコピペではない、気難しくて気分屋の私仕様のメッセージをくれていた。いつも体調が良いなんてありえない。本当にしんどかったら「今日は行けなくなった。ごめんよー」と言えばいいし、まぁ、おそらく抗不安薬と休息(焦らないことが一番)で心と体を整えることになるはずである。コワーキングスペースか図書館で瞑想しよう。

3日後は私と気心知れている友人二人と出かけるので、「今日は行けなくなった。ごめんよー」と言っても怒ったり不快な思いをしたりはしないと思う、冷静に考えれば。そういうことを今考えても仕方ないので、一日ずつ起床時間を1時間前倒ししていこう。睡眠はコントロールしようと思ってできるものではないけれど、自分にできることはきちんとやっていこう。それでダメならあきらめよう。

繰り返しになるが、いつも体調が良いなんてありえない、マジで。

私は勝手に完璧な体調(=より良いパフォーマンスにつながること)を求めているが、ないものねだりなのだろう。それでもうまくやっていく、取り乱すことなく落ち着いた大人に早くなりたい、というか近づきたいものだ。

過呼吸でぶっ倒れる心配が心の奥底にあるからイライライラしたり、不安に思ったりするが、倒れた時は暑さ+歩きまくった疲れ+逃げ場のない場所に加え、アルプラゾラムをまだ処方される前だった…など複合的な要素が絡んでいた。そのことも忘れずにいよう。当時と今とは違うぞ、私!

さて、イライライラと正反対の、ゆっくりまったりにっこりな私、出でよ!

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