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禍福は糾える縄の如し

禍福かふくあざなえるなわごとし」

「禍いと幸せとは縄がより合わさるように入れ替わりながら変転する。一時のそれに一喜一憂しても仕方がない」

同じような故事で

人間万事塞翁じんかんばんじさいおううま

「一時の幸、不幸はそれを原因としてすぐに逆の立場に変わりうる。軽率に一喜一憂すべきでない」

とあります。

「人間」は「じんかん」とも読み「世間」とか「人生」のことだそうです。

中国に住んでいた塞翁(老人)の馬が逃げ出して皆で悲しんでいると塞翁はまた良いことも訪れるだろうと言っていました。
その通りしばらくするとその馬がたくさんの馬を連れて帰ってきました。
けれどもその馬に乗っていた息子が落馬してしまい怪我をしてしまいます。
やがて国が戦争になりたくさんの若者が戦死しましたが、怪我をした息子は戦地に向かうこともなく生きながらえました。
幸と不幸は隣り合わせというわけです。

これはノーベル賞を受賞した山中伸弥さんの座右の銘であると聞いたことがありますが、私の父も好きだったことわざです。
父自身この通りの人生であったとよく話してくれました。

父は若い頃から体が弱く長くは生きられないと思われていたようなのですが、そのために両親は心配して多くの兄弟のいる中、父だけは栄養の付くものを食べさせてもらったりしたそうです。
皆が普通にできる多くのことも諦めていましたが、虚弱体質なため兵役は逃れたようです。

私が3.4歳の頃、大病を患いましたが、運良く完治してからは仕事ができることに感謝して人一倍頑張れたと言っていました。
病気を治してくれた大学病院の先生とずっと懇意にしていたこともあり、その後兄弟や甥の命も救ってもらえたそうです。

自分が病気になって長い付き合いがなかったら大学病院の先生が田舎町まで往診に来てはもらえなかったとつくづく感謝していました。
その他会社勤めの中でも散々な目にあった後には必ず良いことが訪れたり、その繰り返しだったと良く話していました。

20歳まで生きられるかと言われていた父が、病気を抱えながらも85歳まで生きることができたことも奇跡でした。

確かにどん底だと思っていた時があっても、地に足が着いたら後は上がるだけだと思っていると思わぬ良い事が起こったり、反対に絶頂期だと浮かれていると酷い目にあったりするものです。

結局は仏教でいう「無常」なのでしょう。
どんなことも今の状態が続くわけでなく日々変化していくわけです。

私自身この1年半あまりにたくさんの不幸な出来事に押し潰されそうになっていましたが、思い切ってnoteも始めたくさんの方々に救われました。
どん底を味わったら怖いもの知らずになるし、上を見上げるしかありません。
必ず今と同じではないと信じていれば、日々の変化に気づけます。

また、今世間はこのような事態で未だに多くの人々を震撼させていますが、このことから多くのことを学んで、必ず安心できる世の中が来ることに希望を持つことを忘れてはいけないと思いました。

トップ画像はあい。さんの秋のリースを使わせていただきました。ありがとうございました。全部入らなかったのが残念。


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