記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

シンエヴァ理解ったわ(大嘘)

まえがき

 ネタバレ配慮?しませんよ…?(既に公開終了し円盤も発売されている映画のため)

 シン・エヴァンゲリオン劇場版、本当に面白かったですよね。私はつい先週、適当なサブスクで見返しましたが、いろいろな不安が吹っ飛んで人生を前向きに生きようとする気力を取り戻せました。
 特に最終盤のゲンドウがユイを見出すところからVOYAGER〜日付のない墓標が流れ始めるネオンジェネシス(は???)が、エヴァを知る人間への福音(evangelium)のように思えて、いつ見ても感動してしまいます。

 シンエヴァでは、登場したキャラが未練や人生の苦悩をシンジによって救われ、幸せになれそうな場所へと送り出される場面が描写されました。
 これ、実質的には旧劇場版のパシャッと同じ『補完』にあたる行為と解釈できますが、好きな人に化けた綾波によってLCLに還元されるよりも遥かに幸福かつ救いのあるやり方に見えました。
 シンジくんのケアが凄まじく万全なのも相まって、お別れ会だとか卒業式にも見える厳かな『補完』…メタ的な視点も入り混じった意見(エヴァを語るにあたって避けては通れない道です…)ですが、旧劇場版の登場人物には、このシンエヴァにおいて『補完』がなされているようにも見えました。

この記事では、そんな彼らの補完を私なりに解釈したものを、マイナス宇宙のトンチキ背景をガッツリ脇に置いて書き連ねていこうと想います。

ゲンドウ

 旧劇場版ではリリスの進める補完の最中で自分のやらかした行為に絶望しながら初号機に食われたゲンドウ(他の人々の補完の様子からしておそらく自罰意識によるもの)でしたが、シンエヴァではシンジと向き合い、ユイがシンジの中に居ることを悟ることに成功します。あまつさえユイと共にネオンジェネシスによって消えようとしたシンジの身代わりを13号機の姿となって遂行しています。
 結果だけ見れば、あらゆる手管を使ってアディショナルインパクトを狙い、シンジが『エヴァも使徒もいない、皆が苦しまずに普通に生きていける宇部新川駅』に到達するまでのお膳立てをしてくれたのは彼に他なりません。
 親として、夫として、男として旧劇場版より成長したゲンドウ。最愛の妻を抱きながら息子の望みとして全てのエヴァを消し去るその顔には、微かな微笑みが…

アスカ

 惣流、式波両名のアスカに共通することは、根底にある子供っぽさです。何をさせても優秀な美少女という仮面の奥には、プライドと独占欲の強い脆い姿を隠し、さら掘り進めていけば居場所を追い求め追い縋る孤独な女児がいます。惣流は母が発狂の末自殺し、式波はそもそもデザイナーベイビーであることが判明しますが、共通して親の愛を十分に受けていないことが、アスカの悲しい性を形成したのでしょう。
 そんな彼女を救う方法は、努力しないでも存在していい居場所を教えてあげることです。帰るべき居場所とでも言いましょうか。父の仕事の都合でサイド7を初めとした様々な場所へ引っ越しを続けたアムロが、最後にホワイトベースクルーを帰るべき場所と述べながら泣いた…あのイベントが必要だったのです。
 それを伝えるのは加持さんではありません。シンジでもありません。破からQまでの間で関係性を築き上げた、つまりエヴァと一切関係ない場所で形成された第3村…そしてそこで懇意にした人間の代表であるケンスケが最適だったのです。
 またアスカといえばシンジとの恋愛ですが、これも「お互い好きだったけど、付き合ってすらいないけど別れようね」という大人そのものな形で決着がつきます。それも、伝説の「気持ち悪い」が放たれたあの砂浜で。二人が拒絶しあった場所で、お互いに心を通わせて、その上で恋に別れを告げるのです。あのワンシーンで旧劇場版の悲しすぎる全てが報われましたよ…!さらに言えばプラグスーツパッツパツでムッチムチになったアスカの姿は、新劇場版におけるエヴァの呪いが解除された=エヴァを居場所としていたアスカはエヴァがなくとも生きていけるという解釈につなげることができます。よかったね…!

カヲル

 カヲルくんの役割は至ってシンプル。シンジを愛しシンジに尽くしシンジを守る。レイとほとんど同じです。彼自身はその役割を理解していて、その上でシンジに好意を抱いています。だけど毎回毎回ゼーレの掌の上で踊らされるしかできない詰んだ状況からシンジとの交流をスタートさせられるので、結果的にシンジを愛しながらもシンジの絶望を助長する引き金になってしまう哀れな道化を演じざるを得ないのがカヲルくんです。
 さて、カヲルくんはご存知の通り人の肉体を与えられた使徒です。エヴァでは(すごい噛み砕いて言うと)使徒要素と人要素を併せ持ってると無茶苦茶ができるようになります。ので、旧劇新劇双方で、自分の過去現在未来を把握できるし、エヴァ世界の背景設定を初期から粗方把握できるし、自分が死んだあともシンジくんの精神世界などに現れて様子を見に来ることができます。(まあ今まさに人類補完に向かう世界の情勢をどうにかできるほどの影響力は持たないので無力も同然ですが)
 そんな奴なので、シンエヴァではゲンドウが補完されたあとシレ〜ッとシンジくんの水先案内人を努めようとします。しかしアスカの補完には一切アドバイスもできず、逆に「次は君を救う番だ」とばかりに補完を受けます。シンジはもうカヲルくんがいなくても大丈夫、立派にやれる強い男なのです。世界を跨ぎながらシンジくんに尽くさなくても良いのです。
 じゃあカヲル個人のシンジへの愛情はどうなるのかというと、これも報われます。今までカヲルから関係性を作るアプローチをかけていたのが、今度はシンジからの『仲良くなるためのおまじない』…二人の心が通い合っている何よりの証拠ではありませんか。
 さて、カヲルくんの補完の助けになった加持さん。作中設定で言えばユーロネルフの渚司令と加持副司令ってところでしょうか?(そらこの二人の根城ならJA2パーツとオーバーラッピング8号機の準備がユーロネルフにあったのも納得だぜ)シンエヴァではそういう役割だったこの二人ですが、普段はネルフ本部に常駐しなければならないメインキャラ連中と違い、加持さんは自由な立場の人間です。そしてカヲルくんが好ましく思っているリリンの文化に精通する『大人の男』でもあります。シンジくんを除けば、彼こそカヲルくんと交流できる男なのです。

レイ

 彼女もカヲルくん同様シンジに尽くすことが仕事のお方なのですが、補完の場においては、Qとシンエヴァにおける仮称アヤナミレイの記憶や経験も統合されているようで、ガラクタでできたツバメちゃん人形を抱えています。彼女の補完は、シンジという保護対象からの子離れとも、田植えだのアイサツだのといった人間的生活を学んだ末の自己の確率だのといった複合的要素が絡んだ末のものです。
 ゼルエルに突っ込んでったり、補完を行う役割を請け負ったり、非物理的に初号機に居座ってシンクロできなくしたり、挙句の果てにはヴィレの槍を握ってた=持ち主を犠牲にエヴァがいない世界を作るネオンジェネシスを妨害したりなど、ひたすらシンジが酷い目に遭うのを止めてた綾波。傷付いた自分の身代わりにエヴァに乗ってサキエル(新劇場版では第4使徒)に立ち向かったのをきっかけに、シンジと綾波は互いのために色々投げ打つ機会が多かったのですが、ついにシンジは綾波も含めたみんなを助ける道を選択します。綾波もその覚悟を汲んでヴィレの槍を譲渡するのですが…シリーズ通してお互いを想いあっていた二人の到達点となるシーンと考えると、心がぽかぽかしますね!

リツコ

 さてここからはシンジがマイナス宇宙へ突入する前の段階で、旧劇場版から報われた人々の様子をつらつらやっていきます。
 もう語るべくもありませんが、ゲンドウに人生滅多糞にされたあげく射殺されたリツコ博士。逆にぶち抜いてやったぜ!母親の影に脅かされることもなく、一発分の観測データからヴンダーの脊椎材料にしてヴィレの槍を作り出しゲンドウの計画を完全粉砕イェー!

冬月

 旧劇場版とあんまし変わらない、一人だけパシャっとなった冬月先生。なんてったって旧劇場版の時点で満足してたからねこの副官は。でも戦術采配でヴィレを詰ませたり、門下生マリがスムーズに目的を達成できるようある程度のお膳立てをしたりと、旧劇場版以上に食えない知性派らしさを全面に出していました。
 ナディアのガーゴイル要素が混じった結果?いやまさか…


ユイ

そんなシンジでも補完できなかったキャラがいます。母親のユイです。彼女はネオンジェネシスによる犠牲を引き受けて送り出すという形で自らの愛を証明し、補完する側だったシンジを補完します。お母ちゃんには勝てなかったよ…でも、旧劇版だと永続的に存在できるエヴァンゲリオンに人類の痕跡を遺すことで人類の存在証明を残したかった=エヴァを残したかったユイが、ネオンジェネシスというエヴァンゲリオンを消滅させる行為を母親として引き受けたことが、ユイさんの補完とも言えるかもしれません。立派な母親ですよ。おい聞いてるかカスパー?

シンジ

なんでシンジを迎えに行くのがマリだったのか、どうして綾波でもアスカでもましてやカヲル君やゲンドウでもなかったのか。その答えを見出しました。
新劇からの登場人物である彼女は補完の必要がないからです。
エヴァに出てくる凸凹にも程がありすぎるキャラ達をまとめて「補完」し物語を完結させるには、物語内のキャラではどうしても力不足です。どうしても旧劇の再生産になるでしょう。ではどうするか? 熱いパトス迸る新キャラで思い出を裏切るしかないのです。
さらにいえば、全てのエヴァンゲリオンと全てのエヴァキャラ達にケリをつけたシンジ君をネオンジェネシスするには、既にケリをつけられた旧劇からのメンバーでは不可能。その役目を与えられたのは、まさに新劇からの新キャラ代表たる真希波・マリ・イラストリアスに他ならないのです。

まとめ

ここまで自己流解釈の考察を読み上げていただき、感謝感激でございます。思えばシン・ゴジラから続く庵野監督の「シン」シリーズは、オリジナルの再解釈を前提としながら爽やかな印象を抱かせるエンディングを届けるシリーズでした。そしてそれはシンエヴァも例外ではありませんでした。エンディングを見終わって劇場から去る際に去来した「ああ、エヴァが終わったんだな」は、悲しみや虚しさではなく、希望に満ち溢れた感慨でした。それはキャラ一人一人に丁寧な「補完」と「終わり」が与えられたからなのだと、私は信じます。
ありがとう、全てのエヴァンゲリオン。

この記事が参加している募集

#映画感想文

66,467件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?