見出し画像

黄泉がえりの雛人形

 母が死んだのは、ひな祭り前日の新月の日の夜だった。
 副葬品には、丑年生まれの母が好きだった牛のぬいぐるみや趣味のものの他、千代紙と綿棒で作られた、小さな雛人形の片割れの男雛を入れた。
これは、父が入れろと言ったものだからだ。

 何処で聞いて来たのか知らぬが、「夫婦の片割れがなくなった時には、男女の対の人形の片方を入れるものだ」というので、家にあった男女の人形を探し、ちょうどあった、いつか母が和雑貨の店ででも買ったと思われるこの雛人形の男雛を入れたのだ。
 この風習があっているのか、どこか間違って聞いて来たのではないか、と疑いもあったが。入れるのなら、男女の人形を対のまま入れるか、単体の男人形を入れるのではないか?という気はする。まあ、とにかく、そのようにして、男雛は棺に入れ、女雛は、別個に処分させていただいた。この手で入れたのだから、忘れるわけがない。

 しばらくして、母の荷物を片付けている時、母がいつぞや牛柄のマグカップと一緒に買った牛柄の丸い缶の中から、見覚えのある千代紙と綿棒の雛人形が出てきた。
 ぎょっとした。当たり前だ。この世に存在するはずのない、あの雛人形が、在りし日のまま、男女そろった姿で出てきたのだから。二人を引き離す前と同じように、可愛らしい六角形の箱の中の雛壇に、仲良く座った姿で。
 ぎょっとした。でも、よかった。引き離してばらばらにこの世から葬ってしまった彼らがまた二人仲良く戻ってきてくれたのだ。
 彼らが返ってきたのが、牛柄の缶の中だったというのも興味深い。あの世の牛の好きな人が、牛に託して戻したかのようだ。

 せっかく戻ってきたものを、無碍に手放す気にもならない。もう二人を引き離すことも決してしない。黄泉がえりの雛人形は、今も私も元にある。

 何か不思議な力を持っているのかもしれない、と思うが、それもまた良い。黄泉から帰ってきたとはいえ、何の害もない。
 怖くない不思議は、少しぐらいあった方が良い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?