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鰻を食べなきゃ死んじゃうの

今日は土用の丑の日でも、ましてや鰻を食べたわけでも何でもない。桃の節句だ。昨日、老いた母に会いに実家に帰り、取りとめのない話から今度鰻を食べに行こうという話になった。

大人になり多少の経済的なやりくりができるようになった私は、40歳を過ぎたあたりから主に夏のちょっとした贅沢として、毎年友人を誘ってはおいしいと評判の鰻屋へ足を運ぶ。そんな話を周りにすると、周りもそれなりのいい大人なので、わかるよという反応をもらう。我々も大人になったもんだねと誇らしい気持ちになるわけだ。鰻は大人にとっての勲章のようなものである。

しかし私は極力声を落として言いたい。
え?鰻?子どもの頃から食べていましたけど?

誤解のないようにしておきたいが、我が家は決して裕福な家庭だったわけではない。むしろ遊民のごとく暮らし収入が安定しない夫の存在により、母は子どもにどうご飯を食べさせようか、どう教育を受けさせようか、どう教養を与えようかと頭を悩ませたはずだ。

そこに加えて祖母のことも書いておきたい。明治生まれの祖母は高等教育こそ受けてはいないがかつては経済的にはそれほど困らない東京のそれなりに大きな工務店の娘で、これまたそれなりの良家の三男坊に嫁いだ茶道、花道、日本画を趣味とするお嬢様育ちだった。嫁いですぐに父を産んだものの、数年後に祖父は出征、その2ヶ月後に戦死。子は2歳、急転して寡婦となった。

嫁ぎ先には、息子を養子に出して再婚をと勧められ、つまり体よく追い出されそうになったようだが、そこは気の強い大工の娘。馬鹿にするなとそのまま嫁ぎ先に籍を残し、小さな化粧品を営んで戦中戦後の激動の時代、女手ひとつで父を育てた。(大切に我が子を育てた結果、上述の放蕩息子が育ったわけだが。)

父の嫁を見つけてきたのも祖母だった。母は今でも「あのときは騙された」とぼやく。家計のやりくりに長けた嫁がやってくるまで、相当生活が苦しかったはずで、そろそろ苦労は嫁に全て引き継ぎ私はそれなりの生活をする権利がある、と思ったに違いない。ある夏の日、祖母が嫁に宣わった。

「鰻を食べなきゃ死んじゃうの」

それはアントワネットの叫びのようなものだったのかもしれない。知らんけど。

祖母が家計に頭を悩ますことはなくなったとは言え、この一家の家計が安泰したわけではないが、かの時代、嫁としては何もしないわけにはいかないということで、スーパーのタレでベタベタの鰻を安く調達し、タレを洗い流して蒸しなおし、自家製タレをこしらえて、ご飯を炊き、重箱に詰め、土用のおそらく翌日あたりに我が家の食卓に鰻重が載るようになった。まさに没落貴族の晩餐である。

大人になって鰻屋で舌鼓を打つたびに、私の本来の生まれは貴族だったというほのかな自負が芽生えるのは、明治生まれのアントワネットのせいに違いない。

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