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自分の子供はいらない、と思った日のこと

こんにちは、Guriです。

私が何の焦りもなく、独身で自由な生活を楽しめている理由の一つに、

自分の子供はいらない

という揺るぎない信念を持っていることにあります。

諦めたのではなく、
まだ普通に妊娠が望める30代前半で

「あ、私は自分の子供はいらないな。」

と腑に落ちる経験をしたからです。

それは、溺愛する妹の子供がまだ1歳くらいの頃。

その日は、実家に妹家族と私が集まっていました。

ご飯どきに、キッチンでなにやら作業中の妹に代わり、食卓で姪っ子にご飯を食べさせていた時のこと、

やっと姪っ子がご飯を食べ終わり、
さて、自分のご飯を食べるぞ、と
白米に大好きな梅干しをのせて
口に運んだところ…

「さ、冷めてる。ほかほかよそいたてだったはずのご飯が冷めている・・。」

と。
この時です。

あぁ。子供を産むってことは、ほかほかのご飯食べられないってことなんだ…。

と急に「子供をもつこと」のリアリティを実感したのです。

この時に、

「あぁ、私は子供は大好きだけど、自分の子供はいらないな。」

と、妙に腑に落ちたのです。

私はやっぱりご飯はほかほかのうちに食べたいし、自分のことを優先したい。

この「ご飯」というのは単なる一例で、私は自分の選択を何かや誰かによって曲げたくはないし、行動も制限されたくはない。

子供が優先になり、自分の選択や想いは二の次になる、それが子供をもつことのリアリティで、それは私にとって望む生き方ではない、と急に実感をもって理解したのです。

その時から
・子供を望んでいない
・自分でしっかり稼げている
・私の人生の最優先事項は「自由であること」と再認識し、

結果、結婚に対する優先度が低くなりました。

この日を境に、結婚・出産に対して
焦りもしなければ執着もない。

「自由であること」が一番大事、という
ブレない軸を持った私が爆誕しました(笑)。


そういえば、姪っ子が小学生のころ、

どうしてGuriちゃんは結婚してないの?
どうしてGuriちゃんは子供がいないの?

と聞かれたことがあります。

三重県の片田舎で育ち、
周りにいる大人の女性はみんな

「〇〇ちゃんのお母さん」

な環境にいる姪っ子からすると
こんな叔母は不思議なのも頷けます。

でもね、

結婚して子供を持つことだけが
女性の幸せじゃないのよ

ってことをいつか彼女にも理解できる日がくるといいな,と思います。

私には私の優先順位や軸があるから
世間の「普通」から外れていても、
世間や身内から何を言われても、

まったく恥もしないし、ただ堂々と自分の人生を歩むまで、なんて思っていたりします。

そもそも私、普通じゃないし、
そして普通ってなに?

という話です。

大半の人が歩む生き方を「普通」だと定義するなら、私は普通ではないけど、

変わった生き方をしているからこそ
誰かのヒントになることもあるだろうし、

「普通」の生き方しか知らない姪っ子にとって、将来、「こんな生き方もあるよー」という1つのサンプルになれればいいな、という想いもあります。

なぜなら「普通」の生き方しか知らないと、自分がその生き方に適応できればいいですが、適応できない場合に、とても苦しむことになるのを知っているからです。

だから、私は甥っ子や姪っ子にとって、

「変わった生き方をしてるけど
なんか楽しそうで幸せそうなおばちゃん」

という存在でありたいとも願っています。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございます!

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