青山文平 かけおちる
時代は寛政期で、西暦で言うと1789年から1801年と、江戸時代のそろそろ後半だが、まだまだ開国の機運も全く無い「江戸時代ど真ん中」である。江戸時代は恐らく日本の歴史上最も何も無かった時代のように思われ、私も殆ど印象が無い。その時代を背景に描かれたこの「かけおちる」は、そんな江戸期の恋愛小説というか、人を愛するというのはこう言うことなのかな、と言う小説だった。
主人公である阿部重秀は、東北の小藩である柳原藩の、齢六十手前の執政である。執政とはその藩の職位の中における家老・中老に次ぐ地位を占める、藩でも相当上位の行政官だ。元々の身分は大して高くないが、優秀さから異数の出世を遂げ、貧しい藩の財政を何とかするため、数多の興産を模索する、極めて謹直な藩士である。
こんなクソ真面目な阿部重秀であるが、拭い難い過去がある。それは22年前、妻が阿部家に出入りしていた漢詩の世話役と駆け落ちして家を去ったのである。
当時、夫は駆け落ちした妻、ならびに相手の男を追って、成敗するのが許されていた。すぐに後を追った阿部重秀は本懐を遂げた。が、妻を寝取られた烙印はその後も阿部重秀について回った。
ここからはネタばらしとなるので、これからこの本を読もうという人は読まないで頂きたいが、多分読まれてしまうか…。
阿部重秀から掛け落ちた妻である民江は、重秀から命を奪われなかった。男の方は一刀に両断されてほぼ即死だったが、民江は崖から落ち、そこを重秀に助けられ、民江を運ぶ最中に阿部重秀から民江に対する殺意が霧散していたのだ。
その後、民江は重秀が信頼する篤農家に預けられ、22年を以て今も健在なのである。阿部重秀が手がける興産・殖産の末端を手伝うように、民江はこの農園で日々農婦として仕事をしている。助けて長い間、重秀は民江と口も利かなかったが、この物語における60手前の阿部重秀は、民江とたまに話すようになっている。
民江と話すのは殆どが農作業に関するもので、掛け落ちた理由などを聞くことは無い。それは重秀自身も聞きたくないことで、従って民江と農作業の話をするだけというのは、何となく都合が良い。
怪我をして手当を受け、回復した民江は、成敗される途上にある状態で、怪我の回復の後直ちに成敗を受けなければならないが、重秀は22年間、民江に刀を掛けることが無かった。その気も全く無くなっていた。
だが、あることを切っ掛けに、重秀は民江の成敗を決意し、早朝に民江の住む農園に向かった。民江に対して「斬る覚悟が出来た」と言うと、民江は何の抵抗もなく身をさらす。が、重秀は実は民江を斬りに向かう途上、気が変わっていた。民江を斬るくらいなら、何でも出来る、だったら脱藩と言う当時の重罪を犯して、民江と掛け落ちると言う決断をしていたのだった。民江に旅支度をするように申しつけ、重秀自らも旅支度に掛かる形となった。
それを聞いた民江は感激したが、それならば民江としては何故重秀の元をかつて去ったのかをどうしても聞いて貰いたい、と訴えた。重秀は不問に付すつもりだったが、民江がややしつこいのでその理由を聞いた。この理由が凄かった。
民江は良家の出身であるが、重秀と結婚する随分若い頃、ある男と関係を持った。現代なら何てこと無いことだが、当時は大変なことで、これが元で嫁の貰い手が無かった。だが、重秀はそんなことは構わず、民江をもらい受けた。民江は重秀に感謝してもし尽くせないほどの感謝の意を持ち、結婚後に子だからにも恵まれ、幸せな生活を送っていた。
だが、門閥の近くで育った民江は、大して身分も高くない重秀がその有能さから出世の階段を上ることを、複雑な思いで見ていた。このような出世は門閥からの妬みを買い、危険な状態になるからだ。出世が順調に続く訳が無く、いつかは必ず挫折の時が来る、ひょっとしたら陰謀を巡らされ重大な役目を負わされ、それを果たせずに切腹を申し付けられるかも知れない。そもそも重秀を妬んでいた相手は、そのようなことをしかねない輩だった。このときの重秀の負う傷を憂慮した民江は、将来の重秀の危機を救うべく、駆け落ちという奇策に打って出た。何故駆け落ちをしたか。駆け落ちをして、ずっと逃げ続ければ、阿部重秀は成敗のために命ある限り民江を追い続けなければならない。こうすれば、重秀は命ある限り生き長らえるのである。つまり、重秀がお役目失敗の罪を負うであろう未来から、駆け落ち成敗のための追跡を以て、重秀を救うことになる。
民江の奇策は誤算で終わった。上述通り、程なく重秀は追い付いてしまったからだ。が、民江の誤算はさらに続く。重秀はその後も失敗すること無く大役を務め続け、執政という地位にまで上り詰めたからだ。そして何より、重秀はまだ生きている。
民江は農園で余生を過ごしながら、重秀のその後のことを喜んでいた。既に死しているも同じ民江は、この農園で静かに生涯を過ごしていこうと決心した。
しかし、民江はやはり重秀を愛していた。以下、抜粋。
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「それでも二十年振りにお姿を拝見し、幾度か言葉を交わさせて頂くうちに、自分にはもう残っていないはずのわがままが洩れ出ました。気付くと、わたくしは旦那様に、いつ御屋敷に戻してくれるのですか、などと言っておるのです。旦那様にはご迷惑をおかけしたと存じますが、実は、わたくしはそんな無理を言う自分を嬉しく感じておりました。わたくしは生きている、と思いました。たしかにわたくしは生きているのだと、思うことが出来ました。」
重秀は民江から顔を逸らして、目を拭った。
「これで、お話ししなければならないことはすべてでございます。いまでも、共に旅立たせていただけますか。」
民江に向かって、阿部重秀は声を張り上げた。
「むろんだ!」
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人を愛すると言うことは、気がつくと相手を愛しているんじゃなくて、単に自分自身を愛していると言うことがあるように思う。大切なのは好きな人じゃ無くて、好きな人と一緒にいられて、幸せな気分に浸っている自分、のような。こう言う場合ってのは、相手よりも自分自身のことを大切にしていると言う転倒した状態になっているが、多分自分はそのことに気付いていない。自分はこんなに相手を愛しているのに、何故相手に伝わらないんだろう、は色々な理由があると思うが、その一つは相手が好きなんじゃ無くて、好きな相手に夢中になっている自分を好きになっているだけ、と言うのがあると思う。それじゃ想いは伝わらんわなあ。大事なのは相手じゃ無くて自分なんだから。
この小説の読み方が正しいのかどうか分からないが、民江はこの逆のような気がする。民江は重秀のことを大切にするあまり、駆け落ちをして重秀を将来の禍根を絶とうとしたのである。
読み終えて、青山文平の後書きも読んで、茫然としつつ、
「よくも、こんな人の愛し方を思いついたな。」
と思ってしまった。思いつく、と言う言葉自体なんか適切じゃ無い感じがする。
この小説の全部が全部素晴らしかった訳では決して無い。また、これと重なるような話もあり、重奏的でもある。でも、そんな小説のテクニックのようなものより、作者が書きたかった姿に素直に感動してしまった、そんな本だった。
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