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すべてのことはメッセージ 小説ユーミン

世の中流行廃りはあるもので、10年くらい前に流行った「若者言葉」は、多くがダサい死語として消えて行ってしまっている。10年くらい前の映像などをテレビで見ると、流行語などを安易に使わない方が良いのでは無いかと思ってしまうくらい、かなり恥ずかしいし、とにかくダサい。因みにこの「ダサい」も若者言葉だったと思うが、これは定着している。

同様に定着している若者言葉に「ウザい」があるが、これは元々八王子方面の方言で、それが都心に若干東遷し、若者の間で流行って、全国に広がったとのことだ。東遷時期は案外古く、昭和40年代後半、つまり1970年代前半くらいらしい。そうなんだ。私の高校時代(1990年代)に拡散した言葉、と思っていたけども。 

同時期、正確には昭和48年、1973年であるが、八王子が生んだ大スター、旧姓荒井由実が発表したアルバムが「ひこうき雲」である。以降、荒井由実は結婚して松任谷由実になっても、トップに君臨し続けている。今年デビュー50周年であるが、この人は70歳近くになっても、婆さんと言う感じからはかけ離れている。

その荒井由実が生まれてから、「ひこうき雲」をリリースするまでの20年弱を、かなり忠実に再現して小説化したのが、「すべてのことはメッセージ 小説ユーミン」で、最近出版されて、近所の本屋でも書店のオススメとして平積みされていた。作者は山内マリコと言う、富山出身の42歳の作家である。私より年下であるし、恐らくこの作家が物心ついた頃は、松任谷由実などは既に「大人の音楽」だった筈で、世代的にもやや違う感じだ。こんな世代にも影響を及ぼしているのが、松任谷由実の凄さである。とにかく、これを読んだ。

荒井由実の生い立ちは殆ど知らない。八王子の呉服屋の娘、と言うのは何となく知っているが、それ以上は全然知らない。そもそも私は、松任谷由実を知ったのは、彼女の第三次ブームと呼ばれるバブル時代だ。だから、読んでみて初めて知ることばかりで、それらが悉く「これは全然違う世界の住民だな」と言うのがよく分かった。

荒井由実は、とにかく裕福な家庭で、しかも先進的な考えを持つ母親を持ち、かなり自由に育った感じがある。何でも出来る万能な人間で、勉強・スポーツだけでなく、音楽や美術も出来る。中学校から立教女学院に通っていたことも知らなかったし、大学が多摩美であることも知らなかった。美大出てんだ。

中高でも成績優秀であったが、学校帰りに都心まで出たり、深夜に家を飛び出して朝まで都心で先進的で裕福な若者達と遊び歩いたりと、ここまでしないとこんな才能を獲得できないんだろうな、と思うほどだった。

そんな荒井由実であるが、彼女が若い頃に人気を博した、グループサウンズに熱狂していたことは、意外だった。沢田研二はまだしも、堺正章などは、私達の世代からも「タレント」と言う感じで、松任谷由実のあの洗練とした感じと全く相容れない。荒井由実なんて、日本の音楽シーンには全く影響されず、直接海外の音楽に漬かって、日本の音楽界に突然変異として発生したと思っていた。私が社会人になる直前に突如出てきた、宇多田ヒカル、みたいな。グループサウンズも海外音楽に影響されて興隆したこともあるようなので、その点では関係あると思うけど…あんまり連続性は感じられないなあ。尚、荒井由実はインターナショナルスクールの友達がいて、彼らの手引きで米軍基地に出入りもしていたようで、海外音楽からも直接的な影響はかなり受けている。当時、首都圏は色んなところが依然として米軍に接収されていたので、米国は今より身近だったかも知れない。八王子の近く、立川基地は、まだ返還されていなかった。

松任谷由実に連なる「ユーミン」の永続性が現代でも残っている中、私が本書を読んで印象に残ったのは、原宿にあるコープオリンピアである。当時の最高級マンションだが、ここに荒井由実の友達が住んでいて、よく遊んだりした情景が描かれている。

友達もみんな大変な金持ち揃いであり、昭和の上流階級の豪華さが窺い知れるが、それよりもコープオリンピアである。私も表参道沿いのこのマンションは見たことあるけども、高校時代にこれを初めて見た時の印象は、「なんでこんな古くさくて汚い建物が、こんな一等地にあるんだ」だった。この辺りの事情に詳しい人間は、「ここ、凄い高級マンションなんだ」と言っていたが、私は「ふーん」以外に全く言葉が出ない、とにかくそんな古くさいマンションだった。今でも現存しているらしい。

若かりし頃の荒井由実が出入りしたと言うのは、確かにさすがなのかも知れないが、彼女のその後と比較して、コープオリンピアのダサさは際立っている。建築物は、案外人間以上に老いスピードが速いと思う。外観は基本的に変わらないし、さらに内寸に至っては殆ど変わらない。ネットワークケーブルを収めるスペースが確保されていないので、床をかさ増ししてその下にケーブルを通す、などの工事も行われたが、天井が低くなって圧迫感が増すなど、建築物は本当に変化に弱い。今はさらに無線化もあるので、以前のかさ増ししたスペースは今度は不要になるなど、全くついて行けない。時代の流れに従って、建物は人間に比べて容易に変わらないので、すぐにダサくなってしまう。

荒井由実がよく行った店に、横浜根岸の「カフェ&レストラン ドルフィン」がある。「海を見ていた午後」では「山手の」と言われているが、実際は根岸の丘の上にある、あのレストランだ。ウチから結構近くて、根岸森林公園に犬の散歩で行く際、車で前をよく通るが、この店も「昭和」感が非常に強く、何だか少しくたびれた雰囲気を感じる。夜遅くに通ると、確実に閉まっており、夜が早い感じがする。松任谷由実ファンが今でも行くところのようだが、当の本人はまだたまに行ったりするんだろうかなあ。

裕福な荒井由実は、作中で悉く「当時の最先端」に触れて成長していく。松任谷由実になった今も、まだ新しい感じを醸し出しているが、彼女を育てた色んなものは、最先端じゃ全然無くなっており、さらに文化財と言えるほどの味もまだ出ていない。何だか、彼女だけが常に新しくなっていて、それ以外が自然と古くなっていると言う対比が、やけに鮮やかに描かれている、と言う読み方をしてしまった。

それ以外も、色んな示唆があると思う。多分ファンは必読であると思うけども、ファンじゃ無くても一読の価値はあると思う。ブレイクスルーが起きる瞬間を、疑似体験できるのではないか。平成時代は思考停止の特徴が強く出た、何とも平板な時代だったと思うが、昭和は古くなったとは言え、平成より数兆倍エキサイティングなことが起きていた時代で、令和もそうなると良いな、なんて。

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