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猫にまつわる記憶(二)

    私の実家にも、私が物心ついた時にはすでに、野良猫が徘徊していた。彼らは平然と家々の間を行き来し、時にネズミを捕り、時に花壇を荒らし、時に恋のさえずりをした。そして裏庭に、ここが我が縄張りだとばかりに小便や糞を残していくのだった。それがまた臭くって、家人はぶーぶー文句を垂れた。やがて家には、猫が嫌うという匂いを発する薬がまかれた。猫は我が家には寄りつかなくなった。しかしその分、両隣の家にはより頻繁に足を向けるようになったようで、お隣さんからは「あたしんちも、あの薬まいたわ」と言われたのであった。それでも、猫の姿が消えることはなかった。昼、学校からの帰り、あるいはずっと後、仕事からの帰り、家のほど近くにあるブロック塀を巧みに歩いていく野良をしょっちゅう見かけた。我が実家近辺の猫たちの数は、横浜のエリアよりは明らかにはるかにその数は少なかった。それでも彼ら彼女らの数は、今日まで今考えると不思議なほど増えもしなければ減りもしなかった。役所の方で野良猫の数が増えないように管理していた、かといってその数をせん滅するほどの苛烈さをもって遇することもしなかった、というところなのであろうか。もっとも、横浜に暮らしていた時分は殆んど実家に寄りつかなかったからその間の状況はまるで判らないのだけれど。
    私が勤め先の命令で実家からの通勤となってから何年かたって、ネズミが我が家に出入りするようになった。この侵入者は姿形を隠すのがやたらと巧みで、しかも家人が寝静まっている真夜中に家にある野菜や果物を荒らしていくのであった。母は毎日、被害を目のあたりにするたびにヒステリーを起こし、これはネズミに違いないと喚き散らし、方々を探し回るのだが、老いぼれ人間にやすやすと捕まえられるわけがなかった。父は父でこの時点ですでにもうろくが酷くなって庭の手入れもろくにやらなくなり、ネズミへの関心も示さず、それもあって母のヒステリーは高じるばかりであった。
「あんた、ネズミを何とかしなさい」母は、もはや役に立たなくなった父に代わってわが家の管理統率を、私に押しつけた。しかし私の方は、家には僅かの睡眠をとりに帰っているようなもので、家人との会話も皆無であり、ネズミが出てくるのをノンビリ待ち構えているような余裕などとてもなかった。
「それでは仕方ない。役所に話をしてみよう」私は週に一回、母との対面日(?)というべき仕事の休みの日、そう答えた。
「そんなこと。役所は土日休みでしょう。あんたいつ、連絡するのよ!」
「今は携帯がある。仕事の合間に電話できるさ」
「あーあー。それよか家のリフォーム会社に電話した方がいいわ。ああ!またお金が飛ぶわ。せっかくお父さんが最近は遊ばなくなって、少しはお金がたまるようになってきたって言うのに!」
 役所への電話は、私の生来の怠け者っぷりと仕事の忙しさが重なってまるでやらず、それなら母が電話するとなったが、母も肝心な時にナニもせず、被害は引き続き発生し続けたのであった。
    ところで実家の猫除け対策だが、父のモウロクのため、庭の手入れをまるでやらなくなって、鉢植えの草木が取り除かれるのに比例して忘却されるようになった。やがて、野良猫が再び、我が家に侵入するようになった。ところが今回は母は、復活となったもう一種類の侵入者どもへの関心は示さなかった。ネズミのことで頭がいっぱいだったのであろう。
 ある日、それは私の休日であったが、珍しく母の機嫌がいい。彼女は私に、前日庭先に何者かに食い千切られた、大きなネズミの死骸が転がっているのを発見し、市役所に電話して駆除してもらい、念のために消毒もしてもらったと報告をした。
「まったく!あんたがまるでやらないから!」彼女は私を非難しながらも、にこにこしている。傍らにいる父は、母子の会話などほとんど無関心でテレビに目を向けていた。私は、猫除け対策をしなくなっていたなということを、ようやく思い出した。
「そういえば、猫除けまいていないだろう。あれだよな」
「・・・・」母は、この度は自分が猫に助けられたことを認めないわけにいかず、ぶすっと押し黙ってしまった。結局ネズミの侵入を防ぐための、家のリフォームはせず、猫たちのお陰で我が家のネズミ対策は安上がりに済んだのであったから、母は文句が言えずに仕舞ったのである。
 同じ頃、お隣に住んでいる方が代替わりをし、あちらも猫除けをまかなくなったようであった。それについてお隣さんから話を詳しく聞いたことはないが、どうやらあちらでもネズミが発生したようで、その駆除に野良猫たちが活躍したからであるらしい。
 今、わが家の周りを朝夕、野良猫が悠々と歩いている。一匹は茶トラ、もう一匹は黒白まんだらである。ときにはでっかい糞を残していく。おやおやとそれを掃除するのは私の役目である。私は彼らのパトロール証明書を片付けながら、これもひとつの共存の在り方なんだろうなと思う。

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