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There’s danger on the edge of town...

「けっ!この前もそうだったよな!」
 どうも、私はインドでの列車運に見放されていたらしい。バナーラスからの長距離列車は、途中でまたもトラブルに巻き込まれ、大草原の只中に鎮座することになってしまった。
 バナーラスを発つ数日前、我が大学に提出していた旅行予定を大幅に変更することにした。アジャンターとエローラの仏教遺跡、アーグラーにあるタージマハル、どれも世界に冠たる観光名所なのであろうが、どうにも行く意欲がわかない。35年後の私からは想像もできないが、このときの私はもっとインドの日常を覗いてみたい、バナーラス以外の街のなんたるかを味わってみたくなっていた。最初は東西南北をくまなくと思ったが、インド到着早々ぼったくりに下痢と散々な目に遭って、どうせなら場所を限定してじっくりと観察してやろうと決めたのである。帰国したら大学当局から叱責を喰らうだろうが、知ったことではない。インドに来ちまったらこっちの勝ちだ。それにフザケテイルわけではない。こちとら極めて真面目に旅をしているのだ。大学からもらった20万円はきちんと有効に使った。行きと帰りの飛行機代とアシムル家への下宿代、そしてヒンディー語の講義費用にである。超過分はもう、こっちの負担なのだから、自由に使っていいわけだ。道理には反していない。「アジャンターとエローラはぜひ行くといい」と、アシムル先生は勧めてくださっていたから行くことにしたが、それは最優先課題ではない。さて、ではどこにしようと地図を睨んでいるうちに、都会の方が交通の便がいいだろう、じゃあってんでボンベイにさっさと決めてしまった。ボンベイで具体的に何をするかは決めていなかった。現地に行ってから決めればいい。要はボンベイの街と空気を味わえればいいとしか思わなかった。ガイド本には貧富の差が露呈した、文字通りやばい所だというような書き方がされていたが、やばい所には行くつもりはない。本当にやばかったら、逃げればいい、とまあ実にイージーに決めて出立したが、冒頭の如く、列車内に閉じ込められることになってしまったのであった。
 前回バナーラス行きの時は1等の切符を買えたが、今回は2等である。冷房もなければシートも板張り。もちろん乗り合いである。周りはインド人ばかりで一時はすしずめとなった。周りは私をじろじろと見る。致し方ないとはいえ、さらし者になった気分である。落ち着きゃしない。途中、便意をもよおして、便所に行き、戻ってくると、もう席は埋まっている。自由席だから仕方ない、通路の真ん中にリュックを置き、その上に胡坐をかいた。やっぱりじろじろ見られる。(ここじゃ、俺はスターだな)なんとも自虐的な気分に襲われる。アシムル家の奥さんからもらった水筒の水と弁当代わりのチャパーティでくるんだ軽食は、とうに平らげてしまった。ただでさえインドは暑い。加えて列車は満員で余計暑い。アタマが呆けてくる。リュックをケツの下に愛いてあるから、物取りに遭うことはなかろうが、それでも油断は禁物だ。腹立たしさでギリギリしていると、ようやく列車は動き出した。
 とある駅について、大勢人が降り、しめしめ席が空いたわいと板張りの席に腰を下ろした。リュックよりもよっぽどましである。そこへ鉄格子の窓からにゅっと手を付きだしてきた奴がいた。
「ギミ」
 冗談じゃない。乞食なんぞにやってたまるか、ノブレス・オブリージュな身分じゃないんだと無視を決め込んだ。それでもギミギミとしつこい。と、向かいに座っていた親父がパイサの銅貨を投げて
「ジャオー」と追っ払った。やれやれ、一瞬たりとも気が休まらない。
「おまえ、どっから来た」向かいの男が聞いてきたから日本だと答えると、
「で、ボンベイか」と言う。そうだと答えると、俺もボンベイだと返ってきた。どうにも胡散臭い。デリーで会ったあの紳士と比べると、かなり汚い風体である。「俺は雑貨のセールスをやっている。これからボンベイで商いだ」と男が、こっちが聞きもしないのに勝手に言ってくる。いよいよ怪しい。なんか売りつけられるつもりだなとピリピリしていると、大将ズックから妙な箱を持ち出して説明を始めた。どうやら香料のようである。これを部屋に置いとくと、とか、言っているから、旅の途中だ邪魔になる、ノー・サンキューだねと言ってやった。しばらくは黙っていたが、やがてボンベイは活気があっていい、但し、独りでいると危ない騙されるぞ、俺といれば安全だとかいう意味のことを、どうやら言っているらしい。ありがたいお節介というやつである。大体安全だといっているヤツはろくなことにならない。日本にいる時、私の母は盛んに通販で買い物をしていた。カタログを見て、「これいいわねえ」と買い込んだモノは、しばしば粗悪品であった。こんなとき母は切り狂って送り先と電話で喧嘩し、返品したりしていたが、時には返品がきかない時もあった。これに懲りて買い物をやめればいいものを、母はその後も通販をやめようとしなかった。調子いい物事にはウラがあるものである。私は男のホザキを無視してひと眠りすることにした。
 目が覚めると、男は姿を消していて、別の奴が座っていた。どうやらまもなく着くらしい。前の晩に着くはずが、もう昼になっている。しかし夜中でなかったのは幸いとすべきなのかもしれない。夜に街中に出るのは危険だし、駅の中で一夜というのも落ち着かないものだろう。
 駅を出ると、これまたびっくりであった。バナーラスとはまるで違う都市の風景である。すさまじい人、人だ。その狭間を黄色と黒の2色塗りのタクシー―文字通り、自動車のタクシーだ―がひっきりなしに行きかっている。リキシャもいるにはいるが、大半はタクシーである。人、タクシー、そしてバス。ものすごい数だ。
「都会、だな」以前、アメリカのシカゴの街を映したドキュメンタリー映画を観たことがあった。あそこに登場した人、クルマ、モノ。全てが爆走し馬の目を抜く如き営み。私はシカゴには暮らせないと思ったものだが、ボンベイにも、共通の味わい、というべきか、色を感じた。人の営みにもいろいろある。ここは私には無理だ。バナーラス位の所がちょうどいい。しかしせっかく来たばかりですぐずらかるのももったいない、まずは泊まる予定の宿に行くことにした。バナーラスでサルベーション・アーミーが運営する宿があるという。あそこなら問題はなかろう。タクシーに乗ると、その旨を告げた。クルマは勢いよく、というよりのそのそ走り出した。ずいぶん年季の入ったクルマだ。鉄道もそうだが、インド人はモノをとことん使い倒すらしい。日本ならとっくに廃車にしているであろう。車体からしてどう見たって私の生まれる10年は前から走っているようなクルマだ。
「あんた、どっから来た」また同じ質問をされた。よっぽど私の見てくれが珍しいのだろうか。
「ジャーパニーか。ゲイシャ・ガール、スシ、サムライ、×××・・・・」後の方は、何をしゃべっているのかまるで判らない。どうもこの運転手は英語がよくわからないらしい。
(やばいんじゃねえか?)シートを見ると、ところどころ破けていて、中身のアンコが飛び出ている。ドアの窓には埃がべっとりくっついている。どうもクルマに対する愛着を持っていない運転手のようである。
(おや・・・・)窓の外は、次第に閑散としてくる。サルベーション・アーミー経営の宿はこんなところにはないはずである。
「ヘイ・ミスター、道間違ってねえか?」ところが運転手はてんで反応しないでずんずん進んでいく。いや、のそのそ進んでいくといった方が正しいであろうか。
(やべえな)こっちがまごまごしているうちに、駅前とはまるで雰囲気の違う街並みとなった。
「ヘイ、ストップ」さすがに、ストップという言葉は判るものとみえる。運転手は車を止めた。
「ここに、本当にサルベーション・アーミーの宿はあるのか?」
「×××・・・・」何をしゃべっているのかまるで判らぬ。
「オイコラ、サルベーションだよ」
「×××・・・・」やはり判らぬ。どうにもならぬから10ルピーをつかませたら、安いとぬかしやがる。
「ファック・アウトだ!」騒ぎを聞きつけたか、周囲から人が集まって来て、運転手は泡食って逃げていった。取り残された私は、10ルピーをふんだくられてむかっ腹を立たせつつ、周囲を見渡していくうちに、背中から冷たい汗がしたたり落ちるのを感じた。
 バラック建ての建物が林立し、舗装されていないあぜ道。そこからウジ虫のように、薄汚れた男女がよってくる。どいつも手を付きだして「パイサ」とうめく。
「クソだ・・・・」すると、足を掴む奴がいる。ドキッとしてそちらを見ると、ひとりの男が私にすがっている。右手で人の足を掴み、左手を差し出している。しゃがんでいるのかと思ったが、そうではなかった。尻を地べたにくっつけ、胡坐をかいているように見えて、片方の足は途中からちょん切れていた。
「パイサ」
 冗談ではない。私は相手の腕を振りほどき、めくらめっぽうに走り出した。何がどうなっているのだか、まるっきりわからない。わからないが、ともかくも逃げるしかない。ひたすら走って、どれくらいのところまで達したろうか。道の両端には相変わらずバラック小屋が立っているが、先ほどのような禍々しさはない、と思われた。しかし。
「ここ、どこだ?」
 わかっているのはインドのボンベイにいる、それだけであった。私は迷子になったのである。両の手をぱたぱたし、体のあちこちを触ってみた。変になっているところはないようだ。モノも捕られていない。どうにか命は繋いだ。その刹那、一気に疲れが襲ってきてへたり込みたくなった。
 無計画な旅の報いが、ここにやってきたのだ。結局は私の至らなさであったのだけれど、ボンベイの、おそらくはど真ん中で、私は絶望したくなった。
(いや待て)
 ボンベイの中心地は南である。交通経済の要衝は南に集中している。駅からタクシーで、私はその反対方向に引っ張られていったのはだいたいわかる。ならば単純な話だ、反対方向に行けばゆくゆくは駅に着くだろう。ではどっちに向けば南だ?まずは南がどちらかを把握することだ。なりふりかまわず、会った人に聞いてみることにした。ところが、家は点在しているのに、人っ子一人見かけない。ここは廃墟なのか?わけもわからず動き回ったのでは体力を消耗するばかりである。かといって、道端に立ちすくんでいるのも芸がない。ともかくも大通りと思しき所まで行ってみようと歩き出した。リュックが重い。かったるいったらない。もう泡吹こうかという状態で四辻まで来たところで、通行人の男がいた。旅の恥はかき捨てとばかりに、駅はどこかと聞いてみた。相手はぎょっとした表情を浮かべたが、私が余りにもみすぼらしく、哀れに見えたのであろう。こう聞きかえした。
「ソーリー。もう一遍、言ってくれ」幸いなことにブロークンではあったが、英語を解せるようだ。ならばとこっちはもっとブロークンな英語で駅はと尋ねたところ、
「ああ、チャーチゲイト駅だな。歩いたら10kmはあるだろう」という。
「10kmかい!」どこまでも間抜けな話である。もっと早く、あのクソタクシーを降りるべきであったのだ。
「ユーは急ぎの予定はあるのか」と男が言うので、いやないと答えると、
「ならば歩いてすぐの所に小さい宿がある。そこは外国人も泊まっている。連れて行ってやる」ときた。またやばい所だと顔を引きつらせると、
「ノー・プロブレム。そこはやばい所じゃない。俺のダチがやってる宿だから」という。さあどうする。しかしもう恐怖よりも疲れの方が優っていたので、好意に従うことにした。
 宿は、確かにそこから目と鼻の先にあった。ずいぶんぼろな木賃宿である。背の低いやせぎすの親父が出てきて、「ああ、アッチャー。1泊10ルピーで素泊まりだ。ベッドなら空いてるよ」とこちらの都合などお構いなしにどんどん話を進めてしまう。さて、部屋だが、これが個室ではない。10人部屋が1つあるだけである。そこには先客として東洋人っぽい奴が一人いた。「ベッドは空いてるとこを使え」と言い捨てて、男二人はさっさと出ていった。
(なんか、強引だね)まあいい。どうやらいかがわしい宿ではなさそうだ。目の前にあったベッドの上に荷物をドスンと下すと、あらためて部屋の住人をみやった。
「やあ、あんた、日本人?」なんと、インドに来て以来初めて聞く日本語であった。
「そうですが・・・・ああ、懐かしい、と言っていいのか」
「大学生?そうだよねえ。やっぱりこの時期だよねえ。日本人は皆この時期になるよねえ」
 このアンちゃんは年恰好からすると、20代半ばであろうか。旅慣れているようで、もう2ヶ月、インド各地を放浪していて、この宿にはもう1週間泊まっているらしい。
「他にも宿泊客はいるよ。今はあと1人。アメリカ人。どこに行ってるのかね」旅人は、互いに干渉は一切なしなのである。
「ドミトリーは初めて?そう。でもここは大丈夫だよ。着替えは隣に脱衣所がある。シャワー室もあるからそこで体と、あと洗濯もできる」シャワーは着脱式ではなかった。
「バケツがあるだろう。シャワーから水を入れて、それでやるのさ」
 私は、当初サルベーション・アーミー運営の宿を利用するつもりであったことを告げると、アンちゃんは「あそこも、いい所だよ。軽い観光ならいいかもよ」という。
「あらら。そりゃあ災難だったね。運が悪いよ。まあ、初めての海外旅行なら、仕方ないよ」と慰められているうちに、もうひとり、アメリカ人が帰ってきた。
「オー、ユーも日本人かい。にぎやかになったねえ」にぎやか?3人しかいないのに、とケチをつけたくなったが、黙っていた。
 この宿は3人しかいなくて商売はどうなんだろうかと、アンちゃんに聞いてみると、
「さあねえ。さっき、君を連れてきた男がけっこう助けているみたいよ。問題ないんじゃない?」とのんきな答えが返ってきた。
「ユーらはこれからどうする」アメリカの兄ちゃんが聞く。
「明日はマドラスに行くよ」と日本人のアンちゃんは言う。
「俺は・・・・」まだ来たばかりで何も決めていない私は答えられなかった。
「僕は夕方にはここを出て、カルカッタ」とアメリカ兄ちゃんは言うと、清算を済ませ、
「タージマハルはグレイトだ。おすすめだ」と、当たり障りのないことを言いつつ、去っていった。
 その晩の飯は、どうして調達したのか、全く記録がないし記憶がない。たぶん、近くの屋台で済ませたのだと思う。日本人のアンちゃんと一緒に食った記憶もない。アンちゃんの事で憶えているのは、ジャイプルでもう一人、日本人に会ったという話をしてくれたことである。
「その男は会ったとき、すごい恰幅良かったのに、インドの水が合わなかったんだね。げそげそに痩せちゃって。そのままネパールに行っちゃいました」まるで、今後の私の旅を不吉に予感させるものがあった。私はハナから痩せぎすだったけれど。
 翌日、ボンベイにウンザリしていた私は、アンちゃんにご相伴とばかりに一緒のタクシーに乗って駅に向かい、そこでアンちゃんとは別れた。結局ボンベイは1泊しただけ。観光名所はどこも回らなかった。