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『東京組曲2020』深堀り企画 vol.10

【小西貴大さんインタビュー】
=自分に突き付けられた現実と不安のなかで、僕らが懸命に生きたあの時間が刻まれた映画=


三島有紀子監督の企画に賛同し、一緒に本作をつくった出演者の皆様たちのインタビューによる『東京組曲2020』深掘り企画。第10回目は、小西貴大さんです。

―― 初めての緊急事態宣言後、外出もままならなかった当時でしたが、振り返ってみて今、どのように思われますか?

あの頃、自分自身のことを考えなきゃいけないのが怖かったんですよ。2018年頃からようやく映画やテレビドラマに出演できるようになってきて、2020年は27歳を迎えた年だったのですが、自分の人生の中でこれからもっとうまくいくんじゃないかと思っていたタイミングでもありました。僕は4月11日が誕生日なのですが、その直前の4月8日に緊急事態宣言が発令されて以来、製作が止まってしまうなど作品への出演予定が何もなくなって、現実を突きつけられたんです。
30歳少し手前の「27歳」って、これからの生き方を思案する絶妙な年齢だと思うんです。自分自身のなかでずっとターニングポイントの時だと思っていました。
東京は家賃も高いし、毎日生きることにただただ必死で、忙しさのなか日々が流れていくので、ある意味、現実を忘れていられたんですけど、コロナの時、その流れが止まってしまって、「田舎から出てきてうまくいってない、金も持ってないやつ」という現実がポンと浮き出て、何者でもない自分を実感させられました。「27歳」という年齢にひとつのポイントを置いていた僕にとって、自分が思い描いていた「27歳」ではありませんでした。

―― 2018年『日本製造/メイド・イン・ジャパン』(松本優作監督)、2019年『家族マニュアル』(内田英治監督)でそれぞれ主演され、以降も出演作が続いていらっしゃいましたよね。確かに「これからもっと頑張っていこう」と思っていた矢先の時期だったんですね・・・。本作の企画に参加しようと思ったきっかけは何でしょうか?

プロデューサーの方から、最初にメールで企画のお知らせをいただいたんですが、その時はあまり気に留めていなかったんです。僕は、趣味程度なのですが脚本を書いていて、そのことを知って下さっていたので、プロデューサーの方より「この企画で君が思っていることをやってみたら」と改めてお電話をいただいたんです。
いわゆるドキュメンタリーとは違い、今、目の前で起きている出来事をそのまま撮るわけではないので、自分自身のエピソードを思い出しながら、その時に感じたことが観る方に伝わるように組み立てて抽出し、プロットを書いたんです。

―― 三島監督とは企画に参加されてから初めて話しをされたのですね。どのような対話をし、撮影に臨まれたのでしょうか?

プロットを書いてお送りした後に初めてお話しさせていただきました。三島監督からは「なぜ生活保護についてを撮ろうと思ったの?」とは聞かれましたが、特に方向性の修正等、ありませんでした。撮影も任せてくださり、すべて撮り終わってから映像を提出しました。

―― 完成した映画を初めてご覧になられてどのように思われましたか?

一番に思ったことは、コロナでステイホームになった時にすごく不安だったことを強烈に肌感できたことです。スクリーンで観た時、あの頃の自分と直面したようにさえ感じました。と同時に、他の方のパートに感動したのを覚えています。
三島監督のまとめる力が素晴らしく、僕らの思っていることをきちんと理解して仕上げて下さっている。僕自身は、後でまとめるという全体のことを考えずに撮っていましたから・・・。当然、他に誰が参加されているのかも知らなかったですし、皆さんがどういうものを撮っているかも知らなかったので、「ああ、こういう生活があったんだな」と思ったんです。

―― 皆さん、それぞれでしたよね。小西さんはルームシェアの話しでした。ルームシェアをしていた小松広季さんとは、以前からの俳優仲間だったのでしょうか?

彼は大学時代の同級生なんです。大学に入ってからすぐに出会って仲良くなり、3年生の頃にルームシェアをしていました。それから6~7年になりますね。

本編より。小松広季さん

―― 長い付き合いになられるのですね。改めて、撮影時のことを思い返してみていかがですか?

いろんな意味でギリギリの撮影でしたね。本当に・・・。仕事もない、貯金もないという現実を突き付けられて、当初はそこからどうにか逃げようとしていたようにも思います。コロナに入ってからすぐ、バイトもなくて暇で、実際に同居人とゲームを借りて時間を潰して過ごしていました。映画のままですね。普段は、ゲームはやらないんですよ。だけど本当に暇だったから。もっと現実に目を向けて考えなくてはならなかったんでしょうけど、仕事がないということからどう逃げられるかという気持ちのほうが強かった。そんな想いを抱えていたこともあり、このプロットの全体の構成も「目の前の現実と向きあってこれからどうしていこうか」という形にしたいと考えました。

―― 生活受給という発想は、実際にご自身の周りでそういうことがあったということでしょうか?

そうですね。コンビニでバイトをしていたんですが、ある男性を万引きで捕まえたんです。彼はパンを盗んだため、僕とそのコンビニの責任者とで捕まえました。そのコンビニがあった地域は、生活支援給付金を貰っている様子の方が多くいらしたのですが、万引きした男性は60か70歳くらいのおじいさんで、100円ほどのお金しか所持していなかったこともあり、恐らく給付金生活をされていたのだろうと思います。もちろん、万引きは良くないことですけど、その時、僕自身また僕の親がもしもこうなってしまったらどうしようという思いが頭を過ったんです。30歳近くにもなって仕事もしていないし、自分の親も体を悪くしたりして、社会で虐げられるような人になるかもしれない・・・と。その男性と自分とがふと重なってしまって怖くなったんです。

―― まざまざと目にしちゃうと、今まで全然自分とは関係ないところにあったものが一気に自分ごとになってきたりはしますよね。小松さんのベランダでの告白も印象深いシーンでした。

あのベランダのシーンに関しては、彼独自の言葉で、僕がプロットにしたためた独白ではありません。前もって相談とかはしていませんでしたが、何となくこういう流れで、こういう内容を言ってほしいとイメージを伝えていました。話す内容については本番まで聞いていなくて、彼に自由に話して貰いました。

―― あのベランダで気になったのはタバコの量。いろいろな葛藤がある日々の気持ちの切り替えに必要だったのがタバコなんだろうなぁと思いました。吸い殻が物凄く溜まってましたし・・・(苦笑)。

あのベランダは気持ちのいい場所なんです。5階なんですが、ちょうど下には桜の木があって、心地良いぐらいの気温の時には、あそこでタバコを吸いながら会話することが結構多かったんです。なので、あそこで撮ろうと思ったし、タバコは僕らのルームシェアを象徴するものでもありました。多分、生活がすごく出ていたと思います。二人とも吸い殻を片付けないですしね。でも1日であんなには吸わないですよ(笑)。

本編より。タバコの吸い殻の山!!

―― 勿論、一日であんなにタバコを吸っていたら心配になっちゃいますよ(笑)。
その流れで、三島監督からのシークエンス「明け方(朝4時)に女の泣き声がどこからか聞こえてくる」というシーンの女の泣き声を聞いたということですね。泣き声を聞いてどのように感じましたか?

あの泣き声、強烈でしたよ。僕の場合、電話で親にイライラをぶつけてしまうシーンの気持ちの流れで聞く感じでしたので、とにかく心地悪かった。途中で「無理」と止めてしまって・・・。
プロットには「ただ聞こえてくる」とだけ書いていたこともあって、何かを考えていて聞かないようにしていたんです。でもその当時の感情と化学反応的に耐えられないほどの強烈さがあり、思っていたよりもずっと破壊力がすごかった泣き声でした。

―― コロナ期間を経て、自分自身で「変わったな」と思うことはありますか?

あまり大きな変化はないのですが、友達と電話したり、何かを企画してみたり、友達の大切さを改めて認識しました。それに、東京にいると何かしら動くことが多かったので、立ち止まって考えてみたり、静かに様子を伺うというようなことを今まで全くしていなかったんです。でも、最近では自分と向き合い、考える時間が増えたように思います。

―― 確かに、アフターコロナの今、何を思っているのかを自分に問いかけることや、自分を見つめ直す機会を得ることの大切さに気付かされたように思います。
最後に映画を観てくださる方々に向けて、メッセージをお願いします。

あの頃は特殊な時間だったと思います。この映画では、上手くいったりいかなかったりしながら、僕らなりに懸命に生きてきた時間を切り取って作っているので、一人でも多くの方に観て貰えたら嬉しいです。

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