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信じること頼ること


自分を信じることはとっても大事。
それと同じくらい他人を信じて頼ることは大事なことなのかなと。

明日が見えない。
誰も自分を必要としていないような気がする。
今いる場所が無理ゲー。
心身が腐って崩壊してゆく感覚を日々痛感している。
逃げ場を作る余裕も精神状態もナッシング。。。。

とかく人は、そういうアカン状況に、絶対に望まないにも関わらず陥ってしまうことがあります。
そんなことには絶対に自分はならない。
そう思って生きてきた人も、そういう状況に放り込まれた途端、あっという間にそんなことになってしまうことがあるものです。

多くの場合、
「自分がダメなんじゃないか」
「なんで認めてくれないんだ」
という自分を否定されることに遭遇して、
「ここにいる意味はないんじゃないか」
「とにかく今の場所から逃げ出したい」
という想いに至り陥ったというのが根源です。

しかし、他者との兼ね合いや組織との関係がどうしても絡んでくるのでことはややこしくなります。
自分を認めさせることには、自助努力では実現できない現実というものは確かにありますから。
そういうことがスムーズに臨む形で実現されるようないい職場やいい仲間に恵まれるなんて、本当に運でしかありませんからね。

ただ言えることは、間違いなく以下の通りです。

*自分がダメなんじゃないか
 =ダメじゃないんです。
*なんで認めてくれないんだ
 =そこではいつか認めてもらえることなんて一生ありませんから。
*ここにいる意味はないんじゃないか
 =ないんです。自分がダメにされてしまうだけですから。
*とにかく今の場所から逃げ出したい
 =なので逃げ出しましょう。勇気ある撤退は必ずあなたのためになるはずですから。

自分がイキイキと生きてゆくためには、自分の能力やセンスや考えを自分が肯定する必要があります。
そして、肯定できる大事な要素の一つとして、それを認めてくれて頼りあえる人たちがいることだと思うんですよね。
頼れる人に肯定される、というトーン。
特に仕事や生きる生業において、そのトーンはとっても大切なものになりますから。
そしてそのトーンをちゃんと活かせることは「生きる」という人生最大の営みを「健全」にしてくれるものだと思うのです。
自分にとって「健全」でいられる場所を探して彷徨うことは、長い人生どうしても必要だし、むしろ見つかるまでの一番大切な営みと言えるのかも知れませんからね。

これは、悩み苦しんでる時に、安易に「そこから飛び出しちゃえ!」と言って、苦しいながらも今まで積み上げてきたものからの離脱を推奨するものではありません。
ただ、自分はもうダメだ、消えたい、生きる意味がない、というくらいに追い込まれる状況に陥っているのならば、思い切ってその場所からの撤退も必要なんじゃないですか?ということですからね。

自分を変える、とか、自分のキャリアを捨てる、とか、そう簡単に決心できるものではありません。
でも、本来愛して止まないはずの本当の自分を取り戻すには環境が最も大切なんだと思いますからね。

「自分を愛してくれる人たちや頼れる人たちに囲まれて生きれる場所」を死ぬまで探すという旅が、人生というものなのかも知れないなぁ、なんて思う今日この頃ですから。w






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