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Sunny Days Scenery

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日々の素敵なことや想うこと
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#人生

やりたいこと

みなさんもそうだとは思うのですが ずっと「やりたいんだけどな」と思ってることってあると思います。 いつかやりたい ●●●になったらやりたい やれる条件が揃ったらやりたい 絶対にやろうとは思ってるんだけど。。。。 そこにはきっといろんなやりたいがあると思います。 そして、どうしてもそれができない、まだやれない状況というものも確かにあったりするんですよね。。。 **** 高校を卒業した直後に、クラスメイトが集まって卒業コンパをしたことがありました。 田園という、1982年

文章

**** Stay Salty vol.33をリリースしました。 今回も「そこにいる人たち」がそれぞれの言葉で、そこにいるだけで魅力的なことを話してくれています。 このマガジンを編集&デザインするときはいつも嬉しくなるのです。 参加してくれている筆者から送られてくる写真と文章にいつも元気付けられますし、言葉ではなかなか伝えられないなんというか漠然とした「勇気」みたいなものを受け取るのですね。 ごく個人的な呪いのような言葉や日記を除いて、文章というものはほとんどの場合、自

自己矛盾肯定推奨

自分の生き方などというと大袈裟で。 でも、自分の人生とかいうともっと昭和っぽくなって感じが違うし。 それでもこういう文章で自分を語るときに、自分が今までどうやって生きてきたかを語ることは不可欠ではあるけれど、それらの体系自体を表す言葉が見つからない気がしてるんです。 でも、たとえそんな気がしてたとしても、書くこと自体に何らかの影響があるのかと言われれば全くないんですけども。笑 *** 自分が今まで生きてきた中で見つけてきたことや諦めて放棄してきたことに、何の曇りもな

邂逅を待つ

邂逅を待つ。 涅槃(ねはん)で待つ。ではありません。笑 邂逅=(かいこう)と読みます。 かいこう 【邂逅】 《名・ス自》思いがけなく会うこと。めぐりあい。 「三十年ぶりの―」 **** 人との出会いが人生の質の全てを決めると言っても過言ではありません。 望み望まざるに関わらず、人の生きる道において、人との出会いは不可欠であって、それぞれの帰路や道端で出会う人たちの数人によって、今の自分へたどり着く道標が作られて行くのですよね。 停滞してたり逡巡しているときは大抵こ

私にとってそれはきっと。

人の歩きゆく道を垣間見ることはとても刺激的だし、自分が向かう道の道標となりうる場合もあります。 でもそれは誰の人生でもそうであるわけではなくて、当然自分にとってプラスになることを期待しての「垣間見たい聞いてみたい」だし、出会えてよかったと思えるくらいにそう思わせてくれる人の道ですよね。 このStay Saltyというウェブマガジンをやっていて強く思うのは、今この時を、前を向いてそこに立っている人の歩いてきた道は、多分にもれず、本当に素敵だし刺激的だし前を向くための指針に溢れ

必要とされること

仕事や家族以外の繋がりでも 人に必要とされるということは、生きる上で大きな喜びです。 無条件に応えてあげようと思えるし、 充実感と共に日々を生きるエネルギーにもなります。 人はそういう生き物だと感じています。 そして本当は誰もが誰かに必要とされているのだけれども、 それを実感出来るかどうかはまた別問題でもあります。 必要とされる。 結局のところ、人生の意味とはそれに尽きるのだと思うのです。 唯一無二ではありませんが、 誰かに必要とされていると実感出来るということは、 それ

春来たりて我思ふ

春というのは自分をコントロールするにはなかなか難しい季節なんだな。 冬の寒さをガマンしながら日々を暮らしてるもんだから、陽気が良くなると身体の芯が陽光を欲してしまうものです。 これは本能と言っても差し支えないくらいの衝動です。 どんなに仕事が忙しくても、春めいた陽気が確定された午後はどうしても外に出たくなるのです。 こうしてまだまだ遠い夏に続くかすかな兆しを探しながら、ブラブラと彷徨い歩くaloさんなのでした。 旬のものを想像したり店頭で見てしまったり、あるいはテレビなどで

中心にいる人

実のところ、今までの人生を振り返ってみて。 「この人についてゆきたい!」 そういう感じで思ったことが一度もないことに気がついて愕然とするのです。笑 そういう言い方をすると僕がものすごく不遜で傲慢な奴に思われるので、本当は素直で謙虚で単純な僕への不当な印象はこの際取り除かせていただきますが。w 「この人いい!この人と一緒にやりたい!」 「この人はすごいな。見習おう!」 「この人の〇〇には惚れるわ!」 そういう感じの、他人に対して広げる心や、僕にはない才能に対しての