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ああ、今日も泣きそうだ#03:ソロと団体の違いについて考える

僕は陸上競技をしていたので、リレーだろうが駅伝だろうが団体に思える競技もドライな言い回しをすれば、基本、一人だ。どんな距離でスタートからゴールを早く駆け抜ければいい。

この前、箱根の予選をテレビで観た。飛行場のトラックをひたすら楕円を書きながら10km走るあれは、なんだか騎馬戦感がある。陸上には珍しく、フェスティバル感があるのだ。結果もすぐにわからないところがいい。ただ、戦略はあるのだろうがその距離を責任をもって一人で走りぬくというところでは変わらない。
そうか、ソロとの違いは「責任」だな。団体での「責任」は擦り付けることもできるが、背負うこともできる。おそらく戦略としては、それをいかに分担するか、そこにかかっているのだと思う。責任の配分と重みづけこそ団体のだいご味なのだ。団体は責任がかかるんだと思うと、演舞の見方が少し変わってくる。

ソロは空間を自分の時間で埋めることが出来る。
ソロは自分の時間を作ることが演技の良し悪しを決める。
時間を制して、そして会場を恥ずかしいくらい一人だけのものにする。

だからソロに出て、団体にも出場するダンサーの周りの空気の流れは特別だ。対して団体は曲に追われて、曲を追いかける。みんながシンクロするところまで。この人と時間を合わせたい、そんな仲間がいなければ、いくら踊っても時間は気持ちよくシンクロしてくれないのだ。シンクロした先には経験したことのない何か特別な感覚と、決して忘れない記憶が身につくような気がする。

それは会場でも伝わり、肌のすべてを覆いつくしてしばらく動けなくなることもある。そんな特別な時間を過ごした仲間とは、ずっと一緒にいれると思う。それがずっと一緒ということなんだと思う。

永遠を決める特別な一瞬だ。
特別な時間になることを願います。

ああ、今日も泣きそうだ

アロハラボラトリー代表の篠原が毎週メールマガジンに寄稿しているエッセイ「ああ、今日も泣きそうだ」のアーカイブです。



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