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輝き続ける87歳、私のもう一人の母

私にはもう一人の母親がいます。
ここではママンと呼びます。
ママンを尊敬する気持ちと、色んな方に知っていただきたく、ここに書き残します。

ママンは今年の5月で87歳を迎えます。(昭和11年生まれ)

87歳と聞くと、誰もが「ザ・おばあちゃん」を連想するかと思いますが、ママンは今も現役バリバリのキャリアウーマンなのです!




ママンの仕事は畑と料理です。

若い頃は京都のど真ん中で、京都初のフランス料理を開業しました。(当時30代後半)
当時、フランス料理というとホテルで食べる料理で、町場に開業する人はいなかったそうです。

料理長兼オーナーを務めながら、お客様の接客もして、京都では予約が途切れなかったと聞きます。

ママンの料理はただ美味しいだけではなく、栄養面に特化していました。

バターをたっぷり使うような料理は避け、なるべくヘルシーに。野菜をたっぷりにして、牛乳ではなく豆乳を。

「せっかくお客様が食べてくれはるんや。美味しくても、油が多すぎる料理とか、お肉だらけとか、身体に良くなかったら意味があらへんやろ。お客様の身体にも美味しい料理やないとあかん。」



そんなお店が繁盛の真っ最中の時に、旦那さんが脳の病気で倒れます。
一命を取り留めるも身体がほとんど動かない状態。
当時ママン50歳、介護が始まります。

拡大したお店を3店舗経営しながら介護にも精を出す10年間。

しかし60歳の時に、介護に専念するために全ての店をスパッと閉店。
旦那さんの故郷である京都の丹後地方へ一軒家を建て、そこで療養するために引っ越します。


一軒家には広い畑も設けました。
手作りの野菜で健康的な料理を作って元気にするためです。

土を底から掘り返し、石は全て手作業で跳ね除け、1からの土作り。
おから、米ぬか、野菜のくずなどを発酵させ肥料も作りそれを毎日撒きます。

そこで野菜の種を蒔き、野菜を育てました。
暑い夏も寒い冬も、水やりをし、雑草は抜き、肥料を作り。

全ては愛する旦那さんの為。

愛がたっぷり込められた野菜で料理を作り、旦那さんに毎日食べさせます。

スプーンで一口ずつ。

食事の介助はもちろん、トイレもお風呂もリハビリも全て介助します。

そんな献身的な介護を続けるうちに、首から下が動かなかった旦那さんが最終的に一人で歩けるように。

お医者様も驚くばかりだったと言います。

毎日、ただ一心に『旦那さんが元気になる様に』と願いを込めて、土を育て、野菜を実らせ、料理を作る。

その日々が愛する旦那さんを蘇らせたのでした。


私がママンと出会ったのは旦那さんが亡くなって3年後のこと。ママン当時77歳。

地元の人に「美味しい野菜を作ってる人がいるよ」と人づてに聞き、お家へ伺ったのが始まりでした。

見た目は普通のログハウスなのに、1階の部屋がレストラン仕様の調理場に驚きました。

ホシザキの大きな冷蔵庫、大きなガス代、スチームコンベクションオーブン、真空機、巨大冷凍庫、プロが使う調理器具の数々…

調理師の私から見たら、夢のような家でした。

話を聞いてると、野菜の他にもスープやパンも売ってるとのこと。

「パンは天然酵母で発酵させた手ごねのパンでね、ご飯のようなパンやねん。一生懸命こねてるし、結構人気やで。私が言うのもなんやけど」

と上品な京都のイントネーションで語るママンはとても77歳には見えなくて、こんな人いるんだと驚きを超えてミラクルを感じました。


「どうしてそんなに若々しいの?」とよく聞かれるママン。


「私、年いってるけど、運動欠かさずやってるんよ。
毎朝5時から畑作業して、8時からプール行って、帰ってきたら自家製の豆乳と野菜のスムージーを飲みながらステッパーを踏んでトレーニング。そのあとお客さんの注文のパンやスープやお菓子を作って、夕方に愛犬の散歩。そのあと、温泉行って、夜ご飯食べて、寝る前に料理や栄養の勉強して20時半には寝てるな。」


これ、86歳の今でも変わらず続けてるんです。


本っ当にすごくないですか?!

姿勢もシャンとまっすぐしてて、胸も上向きで、髪の毛の白髪染めも欠かさず綺麗な茶髪。

料理はもちろん健康料理。今も勉強を続けてるので、さらに健康への意識は高くなっています。

体型もモデルのような体型で、おしゃれも大好き。(特にフランスのブランドが好きでいつも着てる)


私は尊敬のあまり、23歳の出会った時から休みのたびにママンの家へ行き、ママンの思考や生き方をたくさん教えてもらいました。

ずっとチャレンジしたり、人を励ましたり、自分なりに勉強したり、常に上向きで輝いていく姿を間近で見せてもらえたこと。

とても良い影響を受けたと今になって思います。


ママンは今は家を変えて、一人で暮らしています。(愛犬も一緒)

介護は終わったけど、積もる仕事があり毎日楽しく忙しそう。


ママンの野菜や料理を知る人は県外からも取り寄せる人も多く、

「今日は〇〇さんに野菜と、スープとパンを10個ずつ送らなあかんから忙しいわ〜!」と今日も元気そうです。

86歳の今でも仕事が途切れず、テキパキとお客様のために頑張ってる姿が本当に尊敬しかないし、こんなふうになりたいと心から思います。

ママンは京都の丹後に今でもいます。
今日も「いらっしゃい!」と元気に迎え入れてくれる、私の愛すべき母です。

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