2022振り返り〜実は東証に行くことに特別な思いがあった村岡〜

本年もよろしくお願い申し上げます。

ということで年明けちゃいましたが、昨年を振り返りたいと思います。
とはいえ、大きくは2つぐらいしかないのですが。

新居が完成。大宮にお引越し

ここで色々まとめており、かつ家が完成したあとに完全に更新が滞ってしまってるのですが(更新はしていく予定です、、)
6月に新居が完成し大宮に引っ越しました。

10年住んだ高円寺から離れることは、辛いところもありましたが、いまのところ大宮なんでもあってとても良いです。

あと、このnoteは半袖、短パンで書いてます。
作戦通り暖かい家になりました。
外が氷点下だろうが休みの日は朝から晩まで半袖で過ごすことも多いです。

数年かけての上場。そして晴れて東証へ

私はCSやTrust & safety 領域で関わっていましたが、例によって言えないことしかないので、どんなものであるのかは一番密にやりとりしていた淺井さんのnoteをご覧いただければと思います。

そして、
妻にしか言ってませんでしたが、実は私にとって自社の上場セレモニーで東京証券取引所の現地に行くというのは特別な意味がありました。

振り返るともう10年前〜
2012年12月に以前の勤め先であったコロプラという会社が上場しました。

当時私はCSのリーダーポジションを期待され採用されたのにも関わらず、音楽活動を並行しており、会社での業務時間は最小にしたく、頑なにプレイヤーでいさせてくれるように立ち回っていました。

そのために、私のかわりにリーダーポジションを引き受けてくれた同僚がいました。

彼はその後、コロプラの上場セレモニーにリーダーのひとりとして参加します。

そのことについて特別な思いはあまりなく、むしろスーツを着なくてよかったぐらいの感情だったと思います

その後、当時の私はキャリアやスペシャリティを上げるための仕事ではなく、音楽活動を含んだ生活のために、自分の中では退屈なルーチンな仕事をしていました。

しかし、発展性がない状態で仕事を続けることで、何かがキャパオーバーしていきました

なぜステップアップを断って中途半端に仕事をしているのか
自分にも会社のためにも良くないのではないか

その頃、リーダーの彼は社内MVPのひとりとして表彰されていました。私がやりきれないと判断した仕事を受け取ってくれたのですが、その功績がたたえられてのことでした。

壇上の彼をみて色々な感情がありました。祝福、感謝、悔しさ、情けなさ

そんなこんながあり、
まだSOを全部行使もしてないのにコロプラを退職しました。

退職後は数年の紆余曲折があり再就職を決意するわけなのですが、
その時に思っていたことが

あの時、
キャリアを追っていたらどうなっていたのか
リーダーを引き受けて、あの仕事をやりきっていたらどうなっていたのか
やっぱ仕事はしつつでSOは全部行使しといた方が楽だっただろうな…w
やりなおしてみるか。子供育てなあかんし

ということで、以下が私の中期の目標になりました。

「もう一度スタートアップでSOをゲットし、リーダー以上でIPOを迎え、上場セレモニーに出る(ぐらいの存在として仕事する)」

とはいえ、自分の力のみではどうしようもない目標であり、自分自身にそもそも思ったより力がなく、大変でした。
今までは同僚の天才達に助けられていただけなんだなと。。

再就職最初の会社も次の会社も資金ショート懸念などがあり退職。
3度目の正直がnoteだったわけです。
そんななか、並行して赤子の子育て。妻にもとても負担をかけました。
流行病もあいまり音楽も全くできない日々でした。

数年間 HARD THINGS しかなかったのではと。
子供が今5歳なので5年は HARD THINGS

でも、目標達成はできました。奇跡。
右の方に写ってます


ということで、無事リベンジを果たしましたが、次はどうしよ

12/21 東証にて

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Shunsuke Muraoka
息子のおもちゃ代になる予感です