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駅遠だからこそ

今朝は、2月まで住んでいた街に遊びに行きました。ずっとのばしのばしにしていた用事を済ませに。

ひさしぶりのこの街、住んでいたときはすごく住みやすいと思っていたのですが、今日はなんだか感じ方がちがう。

いまの家は、電車の駅からもバス停からも離れています。最寄りの駅まではあるいて1時間。保育園は往復で1時間。バスに乗るにもまず20分あるきます。

夫は車通勤だけれど、車はそれで売り切れなので、わたしと息子はどこまでもあるいて行きます。

いつも出かけると帰り道でへばってしまって大変なのですが、そんな暮らしをしばらくしていたら、「便利」に身体がびっくりしてしまったみたい。

雨のなか、おんぶで散歩中に出会った緑道

便利は大好きだけど、それはつまり車と人が多いということ。ぜんぶ人の大切ないとなみだけど、そのまただなかにいるというのも結構大変なのかもしれない。

どこに行くにもあるいてあるいて、足でいける場所で自分たちを満たしていく。

カフェはないけど、公園の茶屋がある。
図書館はないけど、移動図書館がきてくれる(予約して、受け取れる!)。
春は近くの公園でお祭りをやっているからたのしい。
おいしいパン屋さんはもうあるし
スーパーはあるいてすぐに2軒もある。
生活クラブも毎週届けてくれる。

何もなくてもお弁当をもって外にでたら、もうたのしい。

これだけでもう十分、便利で満足な世界。

ひさびさに街にでた今日、はじめて感じた感覚がありました。見るものが多すぎて、なにかが身体から出ていってしまう感覚。なんというのか、なにか繊細で静かなものが、外に流れていってしまうような感じ。微細でたしかな感覚。

無理に見たり動いたりしないことで、自然と起きる内的経験があるのかしら。

この感覚をためていった先になにかゆたかな表現がある気がする。

のだけど、どうかな?

街中の田舎(そんなことばありますか?)に引っ越して2ヶ月。さすがに不便で大変かも、と思っていましたが、慣れてきたいまその不便さがとてもとてもうれしくなってきました。

駅近じゃなくてよかった。

でも、

夏までには電動自転車を手に入れるぞ!

どんどん緑濃くなっていく裏山の木々





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