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日本の教育はどうなる

自民党の総裁選の結果、石破茂氏が選出された。今回の総裁選は「派閥」の
コントロールが弱まった結果、9人の候補者が現れ、投票にあたっても自分の判断で(自分が選挙後に有利な立場になるように、という判断も含めて)投票した議員が増えたと思われる。個人的にはいいことだ、と思う。「上司に言われたから」「昔からのつきあいだから」という判断根拠をすべて否定するつもりはない。しかし、自分の判断を「誰かのせいにする」ことで責任を逃れるような政治家はこれ以上増えてほしくない。

翻って、学校教育においても「主体的に考える人を育てる」ことは古くて新しいテーマである。民主主義が機能するためには人々が「市民として成熟する」ことが必要で、それは「問いに対する答えを自分の頭で考える」ことと同義である。社会の在り方を自分事としてとらえる人を育てていかなければならない。デジタル化が進行して誰もが端末で発信し、つながることが可能になった今、一律に「子供なんだから先生の言うことを聞きなさい」という教育は、もうオワコンである。「どう考え、発信し、つながるか」を学べる場を充実させることが必須だ。

と考えながら、今回の総裁選を振り返ってみたが、「教育」について熱く語った候補は皆無だった。わずかに「子育てしやすい社会」とか「若者が希望をもてる社会」などのボンヤリした表面的なフレーズが並んだぐらいである。先立つものがなければ教育に投資できないから、経済政策が大切なのは理解できるが、せめて、「この国の未来のためにこんな教育をしたい」という哲学ぐらいは訴えることができなかったのか。自民党員の高齢化が進んでいるらしいので、若者受けする政策は今回もすみっこに押しやられてしまったのか。

若者に未来を語れないリーダーは、リーダーたるにふさわしくない、と私は思う。石破さん、首相としての演説の際は、どうぞよろしくお願いします。


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