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【特別対談】松原隆一郎×鹿島茂 『〈賄賂〉のある暮らし 市場経済化後のカザフスタン』を読む

月刊ARノンフィクション第12回は松原隆一郎さんを対談相手に迎え、岡奈津子『〈賄賂〉のある暮らし 市場経済化後のカザフスタン』(白水社)を読み解きます。本作品はカザフスタンの賄賂経済について約150名にインタビュー調査を行ってまとめたもの。一般人向けにリーダブルに編集されているとはいえ、一部は科学研究費から費用が賄われている専門書。この専門書を、鹿島茂さんと松原隆一郎さんが、他の事例にあてはめて読み解きます。
今回の対談は図らずも、「専門書を理解するためにはトークショーは有効」ということがわかる形となりました。以下、トークショーの要旨と醍醐味をご紹介します。

鹿島流で読み解くカザフスタン経済

唐突ですが、鹿島さんは自書『「失われた時を求めて」の完読を求めて』(PHP)の中で下記のように述べています。


…現在の文学研究の専門化は極端なところまで進んでいて、同じバルザックの『人間喜劇』の研究者でも「哲学研究」の研究者は「風俗研究」にかんしてはほとんど知らず、「風俗研究」の専門研究者からは素人扱いされてもいささかも恥じるところがないほどになっています。しかも、自分の専門分野を狭く限定することが研究者のモラルとされていますから、私のようなフランス文学全般を扱う物書きは万屋的存在として、蔑みの対象になることはあっても、尊敬を受けるようなことは決してありません。


そう、現在、多くの人文科学の分野で「専門化」が進んでいます。今回の課題本『〈賄賂〉のある暮らし』もカザフスタンの専門書。このため、カザフスタン以外の国の話は出てきません。しかし、それでは素人には読みにくい。比較対象を持つことにより初めてカザフスタン経済の「特異性」と「普遍性」の両方に気づくことができるのです。今回読み解く鹿島さんと松原さんはいずれもカザフスタンないし中央アジアの専門家ではありません。しかし、専門家ではないお二人がご自身の専門分野とカザフスタンの賄賂経済を比較することにより、普通の人にとって、よりカザフスタン経済がわかりやすくなります。

特に鹿島さんはカザフスタン経済をアンシャン・レジーム期のフランス、資本主義草創期の日本、そして現在のアングロ・サクソンや日本と比べ、いったい「賄賂」とは何なのか、考えながら読み解いて行きます。


タイトルが素晴らしい本

松原さんが遅れたため、 鹿島さんのモノローグで始まります。

鹿島さんがこの本に興味をもったのは『〈賄賂〉のある暮らし』というタイトル。カザフスタンの話ですが、鹿島さんは、16世紀から18世紀のフランスのアンシャン・レジームの時代を想起します。
アンシャン・レジームの時代には、職業がお金で買える「官職売買」が行われてました。官職の相場は大体1億円で、1億円で職位を買うと500万円の年収が国から支払われます。つまり、1億円を5%で回し、20年で償却する計算。
20年償却という割のあまりよくない取引がなぜ行われたかというと、官職をもつと、斡旋利得などいろいろと賄賂が入るからです。
賄賂の実態は不明なことが多いのですが、賄賂社会が発達してくると、賄賂のプロも生まれてきます。ナポレオン一世から王政復古の時代に外務大臣を務めたタレーランは贈賄、収賄を巧みに使い、ナポレオン後の混乱した欧州を治めていきます。


日本は渋沢栄一がいたから「賄賂」のない国に

「賄賂」というものを考えるにあたり、鹿島さんはヘーゲル哲学の「『あること』について考えるとき、『あること』が『ないこと』を想定し、『あること』の特異性について考える」と論理だてると物事がよくわかるといいます。
「賄賂のある」カザフスタンは一見日本と逆さに見えますが、もしかすると、首相側近がいい思いをする向きもある現在の日本にも形を変えた賄賂があるのかもしれません。

鹿島さんは、ソ連が自由経済に移行した直後、外務省から新しい独立国の未来について見解を聞かれたことがあります。鹿島さんはその時はまだ、渋沢栄一の伝記を書いていなかったのですが、渋沢栄一がいたからこそ日本で市場経済が根付いたのではないかとの意見を述べました。渋沢栄一の高潔さが日本の市場経済を支え、「賄賂のない」世界に導いたとの意見です。



〈賄賂のある暮らし〉はいったん成立すると崩すのは困難

賄賂の習慣はいったん成立すると崩すのは困難というのが鹿島さんの見立てです。いったんブラックマーケットが成立すると、金と権力を持つ一部の者が国に流通する富を独占し、自国民に高い金で売りつける、いわゆる「悪貨が良貨を駆逐する」という状態になるからです。
カザフスタンはナザルバエフ大統領による独裁国家ですが、同じような開発独裁国家であるマレーシアやシンガポール、台湾はカザフスタンほど〈賄賂のある暮らし〉となっていません。

これは、カザフスタンが旧ソ連に属していたということが大きいと鹿島さんは考えます。もともと、ソ連時代は、ある程度は平等が実現した社会だった。そのような平等社会が崩れ、ある日突然、市場経済が実現したものの、まだ物は不足し、お金で買えない、互いに融通しあう互酬性社会となる。このような要素が積み重なり、カザフスタンは〈賄賂〉の実験国家となっているのではないかという仮説を鹿島さんは提示します。

この本に書かれるカザフスタンの賄賂の実態はすごいものです。学位も、就職も、医療も金で買え、警察も買収できます。交通事故で病院に運び込まれても、賄賂を渡さないと治療が始まらないという実態があります。

会場にいた著者の岡さんが補足します。旧ソ連の中央アジアの国、トルクメニスタン、ウズベキスタン、キルギスタンはいずれも〈賄賂〉のある暮らしと思われる。ただし、カザフスタンは〈賄賂〉についてインタビュー調査ができるくらいの自由があるが、トルクメニスタンにはそれがないこと、キルギスタンは資源がない貧しい国だが、それでも〈賄賂〉はあること。またカザフスタンは石油で潤ってきているが、それでも〈賄賂〉はなくならないことなど。

まさに「ライブ」で著者がいたからこそきけた情報です。研究者は自ら調査しているか、参照文献に書かれていること以外、文章として発表することは難しい。岡さんも上記のような情報を著書に盛り込むことは難しいでしょう。トークショーだからこそ聞けた情報です。

鹿島さんによると、賄賂的なもの、不透明な支出は先進国でも、未だ、様々な社会に存在しており、格差社会ほど目立つとのこと。
例えば、フランスでは、昔、劇場にouvreuse (ウーヴルース:直訳すると開け手)と呼ばれれる座席案内人がおり、チップを渡さないと席につけないということがありました。これは開け手は劇場と契約している自由業であり、劇場に金を払って席を案内する権利を購入しているためだからです。
ところが、ミッテラン政権の成立により、チップの強要は禁じられていきます。現在、消費者はチップを払わない自由を有しており、チップを払わないから座席につけないというシステムは法律上禁じられています。座席案内人やカフェの店員は劇場主や店に雇われています。このため、フランスではどんどんチップの額が少なくなっています。

これと対照的なのが、英国です。鹿島さんが欧州に行き始めた70年代は英仏はチップの水準は同じくらいだったのが、現在、英国では、レストランなどクレジットカードを使うときにも、チップを記入する欄があり、カードでチップを支払うことが可能です。このためチップの水準は10-15%と高くなっています。

鹿島さんは続けて賄賂の相場について岡さんに尋ねます。トークショーならではの「聞きにくい質問」を鹿島さんがしたところで、松原さんご登場です。

適切な人に適格な額の賄賂を渡す能力が必要

賄賂の相場ですが、岡さんによるともちろんはっきりしたものがあるわけではありません。ただし、就職に有利な大学の学部では賄賂がきく、また、石油関係の子弟が通う大学では賄賂が高くなり不透明だとのこと。

鹿島さんによると、不透明なのは何もカザフスタンに限らない。例えば、鹿島さんはフランスの滞在許可証を得るのに、何回行っても許可が下りない、ところが、審査官が合気道をやっている人で「合気道をやっているか」といわれ、合気道をやっているというと、突然滞在許可に判子を押してもらえたということもあるそうです。

松原さんは、賄賂がある社会で生きるためには、適切な人に適格な額の賄賂を渡す能力が求めらるとの見解を述べます。一方で賄賂社会は非効率になりがちだとも。

岡さんは、インタビュー相手が、適切な相場を探るため、二人の人に料金を聞いた例を上げます。これを受け、松原さんは、昔、秋葉原の電気店では、正札より安い価格があり、その底値を引き出せるかどうかが客の能力だった例を上げます。店舗から底値を引き出せる能力は、やがてネット社会で、価格.comのようなサイトが出てくると、意味をなさなくなっていきます。
仲介者の旨味があるかどうかで賄賂が存続しうるかが決まるようです。

鹿島さんはカザフスタンは、エマニュエル・トッドの分類に倣うと、次男、三男も結婚して家をで出ていかない、共同体家族であり、共同体家族ではお金の価値が可視化されにくく、賄賂に向かいやすいのではという仮説を唱えます。

一方、アングロ・サクソンは核家族であり、すべてのことがお金に換算しやすく、賄賂が効きにくい社会となっています。

また、日本は賄賂のない社会のように思えますが、日本でもごくごく最近まで、入院する際にはお礼がいりました。
鹿島さんによると、公務員の天下りも、時間差の賄賂ではといいます。現役時代は安い給料で、引退後はより高い給料を得るのも賄賂の一種。

カザフスタンを特殊なケースと考えるのではなく、カザフスタンで起こっていることを、自分でも理解できる身の回りに置き換えて考えることで、カザフスタンへの理解も深まります。

ソ連時代への郷愁

岡さんの指摘によるとカザフスタンでは、多くの人が「ソビエト連邦時代はここまで賄賂社会ではなかった」と感じているといいます。ソ連時代は簡単なお礼ですんだものが、今では高額な賄賂が必要となっています。

ソ連時代は、外部からはネガティブに見られがちですが、実際に住む人にとっては、ソ連は否定すべき時代ではないというのも発見でした。

ノンフィクションのトークショーでは、一人で読んでいたのではわかりにくい主題の背景や、主題をわかりやすい出来事に置き換えるといった、わかるためのヒントが紹介されることが多いです。

一人で読むには手ごわい本もトークショーや読書会に参加することで理解ができる場合があります。

みなさんも身近な読書会やトークショーに参加してみませんか。

【記事を書いた人】くるくる

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