作者の父親への愛が溢れる「好好軒の犬」~江國香織 × 豊崎由美、井上荒野『小説家の一日』(文藝春秋)を読む
「だってしょうがない」というのが井上作品の魅力?
課題作は「書く」ということをテーマにした10編の短編集。豊崎さんはすべての作品を丁寧に紹介していきます。本を読んだ方、これから本を読みたい方、書店の方、書評を勉強している方、ぜひご参考にしてください。特に、ご自身があまり共感できない短編を紹介する豊崎さんの表現力がすごいです。
この短編集には、望まない妊娠をさせられても相手を追い詰めない、「都合の良い女」が出てくる作品がいくつかあります。一冊の本の中に、同じようなシチュエーションで同じような女性が出てくる短編が複数あることに、豊崎さんは読者のないものねだりとしながらも、ちょっと不満を感じます。
江國さんは井上さんの魅力は「だってしょうがない」という感じが出てくること。「だってしょうがない」と思えるから、都合の良い女になってしまうのか。
井上光晴が魅力的すぎる
豊崎さんが一番気に入ったのが、「好好軒の犬」。小説では光一郎という名で書かれる井上光晴とその妻をモデルとしている小説です。おそらくは1960年代の公団住宅なのに、妻の家が良いため「お手伝いさん」がいる!江國さんはその表現だけで、時代がわかるといいます。
そして、光一郎がとても魅力的。おそらくは女と行った旅の帰り、魚屋のお兄さんに「堂々と朝帰り?」と問われると、「堂々とじゃないよ、こそこそ帰ってきたんだよ」と応じる光一郎はチャーミング。井上荒野さんの父親への愛が溢れています。このような魅力的な父親の元、井上さんには「だってしょうがない」と男を赦す気持ちが出てくるのかもしれません。
文芸春秋編集者の見逃し問題⁉
豊崎さんが気に入ったもう一編の短編が「つまらない湖」。賞の選考委員を務めるほどのベテランの女性小説家と若い男性フードライターの物語。豊崎さんが指摘したのは、「二人はワイン二本あけたあと、車を運転して帰っている」。確かに「代行運転を頼んだ」という記述はない。最近コンプライアンスが問題になる中、文芸春秋の編集者は何もいわなかったのか、と思わぬ方向に話題が転がるのが対談の妙味。ちなみにこのnoteを書いている私は、飲酒運転に甘かった時代の話なのかと思ったのですが、スマホでメールを送る場面があるので、やっぱりそんなに昔の話ではない。どうした、文芸春秋の編集部⁉
対談中、江國さんは終始楽しそう。大好きな井上さんの小説の話を大好きな豊崎さんと話す喜びがあふれています。楽しそうな江國さんを見るとこちらまで楽しくなります。そして、「都合の良い女」問題にきちんとくぎを刺してくれる豊崎さん。私は、この短編集を読み、女性に妊娠中絶の負担を強いる、緊急避妊薬が全く普及しない日本社会にまで怒っていたのですが、豊崎さんの物言いですっきりしました。
課題本は、コロナの前の2017年から2022年にかけて発表された短編をまとめたもの。コロナ前は当たり前だった「同じ職場のあまり親しくない人の入院先に見舞いに行く」ということが、今では遠い昔のよう。そんな、特別な時期に書かれた短編集として読んでも面白いです。井上荒野さんにも見ていただきたい対談です。
【記事を書いた人:くるくる】