年末企画

友の会会員が選ぶ「別れと出会いの季節に贈りたい本」DAY.3

かご選:宮野真生子・磯野真穂『急に具合が悪くなる』

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いつでも、どこからでも

年末近く、朝の通勤電車の中、今まで経験したことのない目まいの症状に見舞われた。最寄り駅直前で電車を降りてベンチで休憩する。どこの科にかかればいいのか。ホームの脳神経外科の看板が目に留まる。やはりMRI検査か。前プロジェクトで一緒だった同い齢の同僚が、頭痛を訴えて早退し、戻ってこなかったことが頭をよぎる。風景がメリーゴーランドのように回転する中、該当する症状をどうにかスマホで検索すると、よくある老化現象、と解説されていた。

なあんだ、良かった。

とはいえ、駅のホームをまっすぐ進めないほど歩行がおぼつかないので、会社に欠勤の連絡を入れ、よろめく足で耳鼻咽喉科へ。「そのうち治まるから。一応、お薬出しとくけど、あまり効き目ないかも」との老医師のありがたい言葉と処方箋を頂戴した。

そんな折、書店で『急に具合が悪くなる』というタイトルを目にした。自分と同じく中年の不定愁訴的なものかとぼんやり想像して、手にとった。ユーモラスな動物キャラクターの表紙からは及びもつかない世界があった。

本書は2019年の4月末~7月の始めにかけて、2人の40代前半の女性研究者が、病や確率、リスク、偶然性、出会いといったテーマについて交わした、10通の往復書簡を書籍化したものである。

非常に大雑把に言うと闘病記の範疇にあたるのだろうか。聡明な学者同士が学問知を支えとして全身全霊を賭けて臨んだ対話なのだが、それとは全く相反したスポーツものの少年マンガ――『SLUM DUNK』のような――を読んだ時のように胸が熱くなった。

宮野真生子さんは、『「いき」の構造』で知られる九鬼周三を研究テーマとする哲学者。2018年の秋、「急に具合が悪くなることがありますよ」と医師に告げられた宮野さんは、病を患う当事者として、食や医療分野の領域を研究する文化人類学者の磯野真穂さんに、書簡をやってみないかと声をかける。

それは、哲学者として、病を抱えて生きることの不確定性やリスクについて専門的に深く究めてみようとの学問的野心からだった。
ちなみに、宮野さんと磯野さんは旧知の間柄ではない。人文系のイベントを通して始めて出会ったのが書簡を交わす前年の秋、学問の領域も生活圏も異なる。

宮野さんは広島カープファン、磯野さんは西武ライオンズファンの野球好きで、旅好きで、食べることが好きな、アクティブで、名前もよく似たカラリとした性格の二人。往復書簡の始めは、患者としての生、リスクを負うこと、標準療法と代替療法の選択、不幸と不運について、といったシリアスな問題が提起されるが、それと同時に野球や旅、学会の話を交えて、のんびりとした雰囲気がただよう。

九鬼周造の『偶然性の問題』と絡めて、宮野さんは野球について語る。

さまざまな条件、幾筋もの流れが、その瞬間に「出会い」、偶然に「いま」が産み落とされる。そんなプレーに遭遇するたび、私は現実ってこんなふうに成り立っているんだと驚いてしまいます。と同時に、そこに「美しさ」を感じます。その美しさは、現実が生まれる瞬間の美しさであると同時に、その瞬間を引き受ける選手の強さでもあります。

書簡の往復の回が重なり親交が深まると同時に、宮野さんの病状は悪化し、モルヒネを摂取して痛みを抑える深刻な段階にいたる。病者にかける「お大事に」「大丈夫?」の定型文を使えなくなり、磯野さんは、会話から遊びがなくなりつつあることに気づく。

おそらく私の今の難しさは、宮野さんが会話の先に、どんな未来を観ているのかがつかめないことに起因します。だから宮野さんがここを解放してくれたら私は相当楽になるでしょう。ところが、その未来とは死に関わることであり、それについて聞くことは、この社会の会話のルールでは原則としてやってはならないことになっています。

患者と非患者が、お互い死や死を連想させることを注意深く避ける。それは気遣いであり、社会の暗黙のルールではあるが、会話が硬直した「相互虚偽」の状態であり、言葉を扱う学者としては見過ごすことはできない。磯野さんは、ですます調をかなぐり捨て、直球勝負に出る。

宮野にしか紡げない言葉を記し、それが世界にどう届いたかを見届けるまで、絶対に死ぬんじゃねーぞ!

対する宮野さんは、「(信頼とは)わからないはずの未来に対してあらかじめ決定的な態度をとること」と和辻哲郎の言葉を引いて返す。

あなたがいるからこそ、いつ死ぬかわからない私は、約束という賭けをおこない、そのわからない実現に向けて冒険をしてゆく。あなたがいるからこそ決めたのだという、「今」の決断こそ「約束」の要点なのだろうと。だとしたら、信頼とは未来に向けてのものである以上に、今の目の前のあなたへの信であると言えそうです。

二人が信頼しあい約束を交わし、死という未来に向き合ったその先の書簡は、共に生きることが主題になる。

磯野さんは、イギリスの文化人類学者ティム・インゴルドの『ラインズ』を踏まえて、人と人との関係性を「軌跡と連結器」になぞらえる。

人は「当事者」「支援者」といった役割にラベリングされ、点と点で固定された「連結器」ではなく、各自が運動を伴ったラインを描き、踏み跡を刻み残して生きている。なのに、それをしばしば見失い、忘れてしまう。

関係性を作り上げるとは、握手をして立ち止まることでも、受け止めることでもなく、運動の中でラインを描き続けながら、共に世界を通り抜け、その動きの中で、互いにとって心地よい言葉や身振りを見つけ出し、それを踏み跡として、次の一歩を踏み出していく。そういう知覚の伴った運動なのではないでしょうか。

そしてこの書簡の「エース」である宮野さんに答えを託す。
「なぜ私の人生に、出会いのわくわくと喪失の恐怖が急降下しながら同時にやってくるのですか?」
出会いと死、喪失という偶然の中で人はどう生きるのか。

書簡の最終便で、宮野さんは、再びライフワークの九鬼周造『偶然性の問題』を引いて、偶然を生きるとは「出会うこと」と語る。

「連結器と化すことに抵抗しながら、その中で出会う人々と誠実に向き合い、ともに踏み跡を刻んで生きることを覚悟する勇気」を発揮すること。勇気と覚悟をもって偶然の出会いを必然として引き受けた「私たち」は、出会いを通じてお互いが変わるだけでなく、また同時に、出会った他者を通じて互いが自分自身を産み出し、出会い直すのだ、と。

なんて世界は素晴らしいのだろう、と私はその「始まり」を前にして愛おしさを感じます。偶然と運命を通して、他者と生きる始まりに充ちた世界を愛する。これが、いま私がたどりついた結論です。

最後に、繰り返しになるが、宮野さんと磯野さんが出会ったのは、往復書簡を交わすことが決まったわずか半年前、書簡のやりとりは正味ニか月余りに過ぎない。実際に会ったのは五回だけである。

このことに勇気づけられる。
覚悟と勇気を持っていれば、私たちは「世界」に出会うことができる。
そう、医師に「急に具合が悪くなることがありますよ」と、末期がんで余命を宣告されたその時からでも。


■ 宮野真生子・磯野真穂『急に具合が悪くなる』(晶文社)

磯野真穂さんが『急に具合が悪くなる』と同時期に書いた著書『ダイエット幻想』(ちくまプリマ―新書)の書評が、ALL REVIEWSに掲載されています。

【この記事を書いた人】かご

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