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十字架

 澄んだ秋の空気の中、私は自転車を走らせていた。信号待ちで停車すると、植え込みの前に設置された石作りのベンチに、杖を持った恰幅の良い老人が座っていた。信号が青に変わったので、漕ぎ出そうとすると老人は胸で十字を切って立ち上がった。私はそのまま自転車を漕ぎ、走り出したが、ふとあの十字を切る動作は何だったのだろうかと思った。

私が尊い存在に見えたのか?
それはないだろう。
私はもうすぐ死ぬのだろうか?
だったら恐い。
宗教に疎い私のような人間には分からないが、キリスト教を信仰する者にとっては、十字を切る動作は案外、日常的行為なのかもしれない。信号が変わり、立ち上がって歩き出そうとする老人の胸にどのような思いが去来して、十字を切ったのか。私は少し気になった。

illustration by Ryosuke Tanaka

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