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聞き取りの中で考える「翻訳」①建築家印牧洋介さん(3/3)

(以下はこの前の2記事)

6. 忘れていたこと

佃:
ここまで印牧さんに、建築の分野で「翻訳」と関わりうるテーマをいくつかお話いただきました。普段とは異なる引き出し方、まとめ方でお話しいただいたと思うのですが、いかがでしたか?

印牧:
建築は施工時に自分は手を動かさない点、また建設後には動かないため媒体で表現するのが前提である点で、他の分野に比較して翻訳と呼べそうな工程が必然的に多くなることを話しながら改めて思いました。

佃:
そうですね、印牧さんのお話を聞いていて、言われてみれば当たり前のことなのですが、建築の分野で空間を表現するための媒体がいろいろ存在するのは、「自分以外の他者にあるラインまで共通した認識を持ってもらうため」だということを、改めて意識しました。

佃:
美術の作品を見ることに慣れていると、いつも建築自体も、図面や模型それぞれも、どこか別個の「作品」のように見てしまいがちだった気がします。それぞれの図面や模型を、「実際に建って住まれたらどんな感じかな」と自分の想像力を刺激するスイッチのようにして鑑賞する。楽しいけど、私は図面や模型のそもそもの役割をすっかり忘れていたように思います。

大前提として、図面や模型は、それを「作る側」と「読み取る側」がある一定の共通認識をするための「ツール」だということや、その読み解きを大人数で何段階も行った結果が建築物である、ということを、私は分野は違えどものづくりをする1人であるにも関わらず、つい忘れがちでした。

建築に関わるそれぞれの表現媒体が、他者に空間を伝えるために、書く側と読み解く側で共通した「ルール」を持っている前提で作られている。とはいえ、いつも固まった伝わり方をするのも面白くないと考える建築家や、そもそも「同じ」空間を思い浮かべるなんてことは厳密にありうるのかと考える建築家がいたり。そしてルールを逸脱したり、もしくはルール自体に疑問を持って取り組む建築家も現れてきた、ということを今回知りました。

7.終わりに ー 忘れたくないこと

佃:
美術の分野で作品を作っていると、「自分の作品で〜を伝えたい」と口にするのは、おこがましい、とか、いや「この辺面白がって欲しい」と思うことはあっても結局感じることは人それぞれやろ、とか言いたくなるので、「この作品で何を伝えたいですか?」という質問はとても答え方が難しいなといつも思っています。

でも、それって「〜を伝えたい」を全く考えなくていいということとも違うなと思っていて。「何らかの環境で育った感受性を持った人が、自分の作品を引き金にして何かを感じる可能性がある」こと、それが自分と近かったり遠かったりすること、作る側にも「ルール」があり、鑑賞者側にも受け取るときに通過する「ルール」があることは、そのルールを逸脱しないように、とかいう縛りなわけではなく、また、ルールから外れなきゃ、とかいう別の縛りでもなく、建築の表現媒体が「当たり前に」大前提としている、という感覚に何か近い形で、なんだか「忘れたくないこと」だなと思いました。

「見る人あっての作品だから」というよく言われることばの中にはあるけど収まってないことのように思っています。

この辺に私が「翻訳」と関わりを感じている何かがある気がするんですが、今ひとつまだピタッと言葉にできていないです。引き続き、他の方々にご協力いただきながら探っていきたいと思います。印牧さん、今回は長々とご協力いただき、本当にありがとうございました。


印牧 洋介(かねまき・ようすけ)
2007 早稲田大学理工学部建築学科卒業
2009 早稲田大学大学院修了(古谷誠章研究室)
Fondazione RENZO PIANO 奨学生と して渡仏
RENZO PIANO BUILDING WORKSHOP PARIS
2010 安藤忠雄建築研究所
2012 坂茂建築設計
2015 印牧洋介設計
2016 東京藝術大学教育研究助手
2017 大成建設設計本部
https://www.kanemaki.org


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