ホントの氣持ちを伝えるということ
今、同窓会の幹事をやっている。
私が? 幹事?
という感じ(洒落ではない笑)なのだけれど、これが楽しい。
このnoteで連載で書いている『魂のブートキャンプ』で
学びをともにした仲間が再び集まる会を私が提案した。
と言っても私発信というより、仲間のひとりである利恵ちゃんに
促される形で私がみんなに呼びかけた、とうのが正確な表現だ。
私はこの夏ブートキャンプでともに過ごした仲間のことが大好きだ。
ブートキャンプでは、自分の見たくない部分をあえて見ることに挑戦し、
もがき、苦しみながらもホントの自分に還るためにそれぞれが真剣に
自分と向き合った。
ともに泣いたり、笑ったり、時にやさぐれたり、いじけたり、落ち込んだり…と、外では決して見せない姿をそこではさらけ出した。
そんな時間をともに過ごした人たちのことが私は愛おしくてたまらない。
だから「みんなとまた会いたい!」という氣持ちは人一倍あった。
グループライン上で誰かが「同窓会しよ-」なんて言葉が出た時は
「ホンマにしたい! 誰か進めてくれへんかな?」と思ってた。
でもそれ以上話が進まない様子を見て
「同窓会したい、なんてみんな本氣で言うてないんかな?」
「みんなのこと大好き!なんて盛り上がってるのは私だけなんかな…」
と内心淋しい氣持ちを抱いたりもしていた。
そしたらブートキャンプ仲間の利恵ちゃんが
「ホントにしようよ、同窓会」と言ってくれて
「でも私まとめるのとか苦手だし…」
という彼女の言葉に促されて
「じゃあ私がみんなに聞いてみるわ」
と私がみんなに提案することになったのだ。
「私発信で何かを提案する」ことへの恐れ
とは言ったものの私は
「私発信で何かを提案する」ということへの恐れを持っておりまして。
その場の空気を読むことに長け、自分の氣持ちより人を優先させてきた私にとって「自分の氣持ちに正直に自分を表現する」ということはハードルが高い。
だからグループラインに「同窓会しようよ」の投稿を投げることは
正直ドキドキしていた。でもこの時は
「みんなのことが大好きやし、また会いたい」
という自分の氣持ちを大切にしたい、そしてそれを伝えたい
という思いが強くわいたのだ。
そしてそこには、「利恵ちゃんも同じ氣持ちでいる。私ひとりじゃない」と優しく背中を押されてる感も感じつつ。
ホントの氣持ちを表現したら愛が返ってきた!
で、みんなに「同窓会ホンマにしようよ」の投稿をしたら
「ちえちゃん、ありがとう!」
「ちえちゃん、うれしい!」
「みんなに会えるならどこでも行く-!」
という嬉しいお返事を続々といただきまして。
泣きました。
みんなその日中に返事をくれただけでなく、
「ありがとう」の言葉を沢山くれて。
みんな同じ氣持ちだったことがうれしくて
私が私の氣持ちを大切にして動いただけなのに感謝までされて。
泣きました。
ブートキャンプ中もずっとやってた私のテーマ。
「人にホントの氣持ちが言えない」
私の中では、私がホントの氣持ちを言うと「拒絶される」→「傷つく」という図式が出来上がっていて、だから恐れがすごく強かった。
でもブートキャンプ後、そこを解放するための行動を少しづつするようになっていて自分の氣持ちを表現することへの恐れが減ってきている。
今回の出来事は私に、自分の氣持ちを表現すると
「あたたかいものが生まれる」
ことを教えてくれた。
これからも私はここをやっていって「あたたかいもの」を感じていきたい。
そうやって少しづつ自分の中に安心感を広げていきたい。
そう思わせてくれるきっかけをくれた利恵ちゃん、みんなありがとう。
やっぱり私、みんなのこと大好きや。
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