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現実は対峙するものではなく、自分を知るために使うもの。

分かっちゃいるけど忘れちゃう笑。

今朝もこんなことがありました。

マンションのエレベーターに乗っていると後から乗ってこられる女性(Aさん)がいました。

彼女に「おはようございます」と挨拶をするも、ガン無視。

実はこの方、これまでに何度もエレベーターでお会いすることがありその度に挨拶をするのですがいつもこんな感じ。

だから感情的な反応は起こりません。
そういう方だと知っていながら私が挨拶したいからしただけ。

でも最初の頃は違いました。

「なに無視しとんねん!」
「聞こえてるよね?」
「なによブスッとして。朝から氣わるいわぁ」
とめっちゃ腹を立ててました。

そんなことが数回続いたある時ふと思ったんです。

なんで私はそんなに腹が立つんやろ?

目線をAさんではなく自分に向けてみたのです。
すると出てきたこたえが

「挨拶をしたら返すべきだ」という思い込みがあることに氣がつきました。

あーそうか。
私はそれを持ってたから腹がたったんや。
でもこれってホンマにそうやろか?
挨拶をされたら絶対返さなあかんの?
そうしたくなくても?
それって誰が決めたん?
そもそも私は何で挨拶するんやろ?

と自問自答してみたのです。
そして出てきた結論。

私は自分が挨拶したいからしてる。
相手からの見返りを求めてしてるんじゃない。
挨拶すると清々しい氣持ちになるからしてる。
相手に「挨拶したら返せ」というのはただの私の押しつけやった。

なるほど。
そういうことやったんか。
怒りが消えスッとしました。

なんやAさんはなんも悪ないやん笑。

逆に自分の意に反することはしないAさんって実は自分の氣持ちにめっちゃ素直な人なんちゃう⁈

彼女は私に「周囲の状況に影響されずに自分のありたいようにあればいい」というのを見せてくれてたんや。

そう思うようになりました。

そしてこれからも私は私の氣分のためにAさんに挨拶しようと決めたのです。


私たちは目の前の人や出来事に対して感情が動くとき、その対象に埋没してしまい自分を見失います。

あの人がこういう態度をとったからこんな氣持ちになった。
こんな出来事のせいで今私はこうなっている。

私もずっとそれをやってきたし、今でもよく現実に巻き込まれる(前より氣づけるようになったけど笑)。

でもそれをやってしまうと、人生の主導権を自分ではなく現実に明け渡してしまうことになるんです。

そうなると自分は無力で何もできない人、と自分で自分を小さくしてしまう。

現実から何に氣づけるか?
目の前の人や今の状況は私に何を氣づかせるためにそこに現れてる?

そんな視点で現実を捉えることが【ホントの自分】に氣づく第一歩だと感じています。

今日も読みにきて下さりありがとうございます。
また書きます。


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