見出し画像

お金への思いと父への思い

クリスマスのきのう、あるセッションを受けました。
受けた直後からじわじわきていて、今朝自分の中にあるものを整理するために文字にしてみました。

そしたらまた新たな発見があり…。

たぶんこの変容のプロセスは今後も続いていくと思うのですが
今の時点でわかった部分だけでもシェアしたいと思います。

お金への思い

セッションを受けた一番の理由は、「お金」への思いを変えたかったから。

今、私は自分のできることでお金を稼ぎたいと思っています。

それは自分には難しいと思っていることであり、自分が自分にそれができることを証明したい、という思いからです。

これまでも会社員としてお給料をもったり、オットと飲食店を経営してお客様からお金をいただくことはしてきたのですが、いずれも

「自分がお金を稼いできた」

という実感がありません。

会社にいて普通に働いていれば誰でもお給料はもらえるし、飲食店もオットが料理をしていたので、オットの料理を食べに来て下さるお客様、という感覚で私が稼ぐ役割を担っているという認識はありませんでした。

ですが、セッション中に分かったのが、私にはお金を稼ぐ才能がちゃんとあり、それを使って飲食店時代にお客様をよんでいたということでした。

飲食店経営時、私はお客様との距離を近づけたいと月に一度ビジネスレターを書いて出していました。

そのお手紙には新メニューのお知らせだけでなく、日々の店の様子や私が最近感じていることなど、なるべくこちらの心が伝わる内容を書いていました。

理由は「お店に来てね」ということよりも、「こういう氣持ちでお店に立っています」ということをお伝えし、それに共感して下さる方に来てほしかったというのが一番のねらいです。

そしてその思いが伝わった方々が常連さんになってくださり、来てくださっていました。

それがお金を稼ぐ才能だと言われたのです。

私の思い+オットの料理が価値となり、それを得たいと来店されるお客様がお金を支払ってくださる。

「ちえみさんはちゃんとお金を稼ぐことをされてましたよ」と言われ
そういうことなんや…と。

そう言われて理解はできたのですが、どこか他人事のような感じで
その時は深いところに落ちてない感覚がありました。

そこからセッションは続き、家庭環境の話になります。

育った環境がお金への観念を作ると言われているように、私の中でも
きっと両親との関係が私のお金への思いに影響しているだろうな…とは
思ってました。

だからこれまでも自分で紐解こうと色々やってみたのですがムリでした。
が、セッションではそこがどんどんクリアになっていったのです。


「私はお金を稼げない」と思っているのは『守られる存在』でいないと生きていけないから

私の両親は美容室を何店舗も経営するような商売人でした。

夫婦の相性としては喧嘩ばかりで最悪でしたがビジネスパートナーとしては
最高だったようで、店を繁盛させどんどん拡大させていきました。

そんな感じで裕福だったのでお金で苦労したことは一度もありません。
何かを買う時も価格で選ぶのではなく、好きなものを選ぶことをさせてもらってきました。

父は贅沢を、母は質素を好みました。

父が食べ物や洋服など質のいいものを買う時、母はいつも「お父さんは贅沢好きやから」とあきれるような口調で言っていたのを覚えています。

教育方針も父は、私や妹に「大きくなった時どこへ行っても恥ずかしくないように」と旅行の際には高級旅館やホテルに連れて行ってくれたり、食事をする時は一流レストランや料亭でした。

今どこへ行っても物怖じすることなくいられるのは父のおかげです。

そんな両親を見て育った私は「こんなこと自分には到底できない」とどこかで思っていました。

「こんなこと」とは、ひとつの事業をどんどん成長、拡大させ、お金を稼ぐ凄まじいパワフルさは自分にはないと。

留学をする時も、飲食店を開業する時も私の人生にはいつも両親の経済的サポートがありました。

それがあったから私の望みは叶えられてきたのではないか。
生きてこられたのではないか。

という強い思い。

そしてそれは自分は「守られる存在」としていつづけるしかない、
そうでないと生きていけない、と自分に思い込ませるものでした。

だから私には「お金を稼ぐことはできない」という観念が強くあるのだということが分かりました。


お金への思いは父への思いだった

幼いころから威圧的な父のことを私は嫌ってきました。

繊細でいつもピリピリしていて母に怒鳴る父。
一旦は我慢するけれど、負けん気が強くキレると父同様に激しい母。

父だけが悪者で母は被害者だと思ってきたけれど、自分との向き合いを始めてからそうではなかったことが分かり、最近では父への感謝の氣持ちも素直に湧いてきていました。

だからきっと今がタイミングだったのでしょう。

父への氣持ちがほぐれてきた今だから、お金と向き合い、そこにつけている凝り固まった観念を溶かしていけるとどこかで私は感じていたのかもしれません。

きのうセッション後は思考停止になり、何もやる氣が起こらず早々に眠りにつきました。

で、今朝改めて自分の思いをまとめてみると、「お金」へつけていた観念が
そのまんま「父」へつけていたものと同じだと分かりビックリ!
と同時に深く納得しました。

私の考える「お金」とは…

・私にはコントロールできないパワフルな存在
・支配される存在
・威圧的
・こわい
・近寄りたくない

↑↑↑これ、かつての私が父へ抱いていた思いと全く同じ。

私にとって、お金を受け入れることは父を受け入れることだった!と分かった時、だから「お金」の存在そのものを受け入れることができなかったんや。

自分が稼いできた経験も「自分事」のようにとらえることができなかったんや!と腑に落ちました。

セッション中に言われた
「お金を稼ぐ才能を発揮してしまうと父のようになる。だからないものにしている」

というのもそうなのでしょう。

そしてもうひとつ。
お金に関してだけじゃなく、父から譲り受けた資質すべてが
私にとっては認めたくないことだった、というのも今朝わかりました。

・お金を稼ぐ才能
・カリスマ性(権威)
・本物志向
・本質をつくところ
・わがままで自由

これらは自覚があることに加え、自分では氣づかないけれど言われたことがある言葉です。

私は幼い頃から容姿も性格も父によく似ていると言われてきました。
それがすごくイヤでたまらなかった。

そのイヤという中には、「嫌いな父に似ているのが許せない」という自分の氣持ち以外にも「母がそれを否定している」ということも大きかったんだなぁ、と今朝氣づきました。

これは父のことも母のことも以前に比べフラットに見られるようになった今だから分かったこと。
自分の成長をうれしく感じました。

そしてこれからはその才能を認め、発揮していくことが今後の私を大きく成長させていくことなんだろうなぁ、と感じています。

とは言え、氣づきが大きかったせいかザワザワが止まらなくて。

このザワつきは、魂が生まれる前に決めてきたブループリントの一部を明らかにされて魂自体が震えてる(喜んでる?)と思ったり(笑)。

このザワザワも含めて変容する体験を楽しみたいと思っています。









この記事が参加している募集

お金について考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?