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自分の「闇」を受け入れる

前回の私の記事を読んでくださった方からこんなメッセージをいただきました。

娘を愛することができません。
でもペット(犬)のことは私の命にかえてもいいぐらい愛しています。
自分は偏ってるな、と思います。
どうすることもできなくて苦しいです。

母親とまったくあわない。
話していると頭がいたくなってくる。
小さいころから愛されてると感じたことがない。

※両者ご本人の許可を得て掲載しています。


前回も言いましたが(何度でもいいます)

家族を愛せないことは悪いことでもなんでもない。

人として普通のことで、そこに罪悪感を持たないで。


私がお世話になっているセラピストさんの言葉を借りれば

「きゅうりよりにんじんの方が好き」
「しいたけはどうしても好きになれない」

これぐらい軽くとらえていいことなんです。

家族と野菜を同じに考えるなんて…と思うかもしれませんが

でもそれぐらいでいいんですよ。
本当は。

自分が生んだ子なのだから、愛おしくて当然だ。
それなのにそう思えない自分はおかしいのではないか。

生んで育ててもらって、学校にも通わせてもらってる。
だから大切に思わなきゃ。

家族のこととなるとみなこの思考に陥ってしまう。

自分の意志で子供をもうけた。
親から生まれてきた。

これらの事実と自分の心に湧く感情は別の話。

感情は理屈ではないんです。

きらいなものはきらい。

それ以上でもそれ以下でもない。

そしてその感情こそが本当の自分なのです。

ここを受け入れましょう。

それが今の自分にとって不都合があるから受け入れられない。

だから苦しいのです。

不都合とは「家族を愛せないヒドイ自分」を認めたくない。

そんなドロドロとした自分の黒い部分を見たくないのです。


そうです。

ヒドイ奴なんです。
あなたは。

あなたはあなたが思っているほど清くないんです(笑)。

あきらめましょう。

ラクですよー。
開き直ると。


私も父への嫌悪感で苦しんでいるときにメンターに

「あなたは自分で思っているほどいい人でもなんでもないよ」

と言われてグサリと刺されたような氣になりました。

その時は

「えー!私自分のこといいやつだと思ってないですけどー」

と返しましたが時が経つにつれ

あー私は自分のこと、心の底のどこかで “清く正しい人” と思っていたかったんだなぁ、ということが分かってきました。

なぜなら自分と同じような「いい人仮面」をかぶった人を見るとちょいちょいイラッとすることがあったからです。
(やっぱり周囲の人は自分を見せてくれる鏡ですよね)


人は誰しも人には見せられないようなどす黒い自分がいます。

それはみなの中にあるので恥ずかしいことでも何でもないのだけれど、隠しておきたい。

やっぱりいい人でいたいですもんね。

でもね、「光」があるから「影」がある。

これはニコイチなんです。

自分の中にある闇を受け入れてこそ光が現れ、ようやくそこで人は本当の自分に還っていくのだと思います。

言ってることは分かるけど…という方は今はまだそれを受け入れるときではないのだと思います。

きっとそのときは来ます。

だから焦らずいてください。

いつも自分の氣持ちに正直でいてください。

罪悪感はなしですよ。

スタエフでもお話しています。
よければぜひ♪







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