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 とある本に「日本人の三分の一は日本語が読めない」と書いてあって、絶望的な気分になった。
 思い当たることがあまりに多すぎるのだが、まさかそれほどまでとは考えていなかったというのが正直なところ。平均的な日本人は、まだそこまでの惨事を招いていないと、高を括っていた。
 別の本には日本人の国語力の平均は小学三年生程度、ともあった。

 外国語を勉強すると実感として分かるのだが、「言語能力」は「読み書き」が基礎になる。

「英会話」だけを勉強している日本人はよくいるが、「日本語会話」だけを勉強して、まともな日本語が話せるようになると考えているのだろうか?

 文字の組み合わせである「単語」を理解して、その組み立て方である「文法」を理解して、初めて「まともな日本語」が話せるようになる。昔は「読み書きそろばん」が基礎教養とされたように、「聞く・話す」だけだと、「言語能力」、そして「論理的思考能力」は身に付かない。

 英会話レッスンを受けている友人に自宅への帰り間際に英語で話してみて、と言ったことがある。すると彼はこう口にした。

 Tomorrow is early morning. (明日は朝早い)

 これが日本語を理解していない分かりやすい例である。
 彼が言いたかったことを日本語で正確に表記すると。

(私は)明日は朝早い(時間に起きなければならない)。
 英訳 : I have to get up early tomorrow.

 英語以前に、日本語として自分が何を言っているかが、分かっていないのである。いくら英語を勉強したところで、これでは絶対に話せるようにはならない。構造を分かっていない日本語をいくら英語にしても、ただ間違っているだけ。
 日本語は主語をはじめとして、様々な語句を文法的な観点から省略することが可能な言語であるから意味は通じてしまう。しかし「省略されている」ということ自体が分かっていないと、多言語に翻訳することは不可能である。
 英語以前に「日本語」が理解できていないのである。

 あまりに日本語を理解していない日本人が多い、という実感はかねてから薄々あった。
「副業」という言葉が流行りになってから「ブログで稼ぐ方法」というものを何人かに教えてきたけれど、彼らは、テキスト、文章のやり取りだとまったく理解できない。いくら「文章で説明しても」分からない。そもそも、レンタルサーバのサービスページに書いてある「マニュアル」が理解できず、サービスの利用開始手続きさえできない。
 それを簡単な言葉にしてあげても、文章が読めないので理解しない。専門用語を解説しながら、平易な言葉で何度も何度も説明しても意味が汲み取れない。
 僕としては、そこに書いてあることを、ただただ言葉を尽くして説明しているだけに過ぎず、「読めば分かる」としか思わないことが多いのだが。

 挙げ句、DNSやメールサーバの設定、WordPressのインストールさえできずに、僕が代わりにやる羽目になることもしょっちゅうで、複雑な内容はライン通話などを使って、「声」で説明するということを強いられる。
 ただ、ここにも問題があって「音読み言葉」が理解できない人が多い。

「この事象が発生した場合には、回避策として〜」と言っても分からない。「音」から「単語」が連想できない。
「こうなっちゃったときに、なんとかするには、〜すれば」という言い換えが必要になる。それでも伝わらない場合は、同時にテキストを送る。
 つまり「字幕」までが必要になる。You Tubeでよく見る、あれだ。
 それでも理解できず、最後には図に書いて説明しなくてはならないことだってある。つまり「絵本」。
 もはや「言葉」で理解させることを諦めてしまうしかない。

 こういう人はいざWordPressのセットアップが終わったところで、ろくなことにはならない。

 日本語には文章を書くルールとして以下のような決まりがある。
 改行したら一文字下げる。
「、」と「。」が文頭に来た場合は、ぶら下がりで前行に収める。
 文章の終わりは読点。
 誰もが小学校で習っているはずである。でも知らない。
 一歩踏み込んで、主語を省略できる場合とか、倒置法の使い方とか。そういうこともまったく知らない。
 そういう人の書く文章というのは必ず「日本語のルール」から外れている。
 そして「何を書いているのかさっぱり理解できない文章」をブログに投稿して、三ヶ月も経たないうちに放置して終わる。そもそも基礎が備わっていない。言うまでもなくブログは「日本語の文章」を書く必要がある。
 ITの知識がないのではなくて「日本語が分からない」という状態にあるのだから当然である。なるほど、小学校三年生以下だ。

 僕自身は父親が高校の国語教師という事情もあって、テレビやマンガの類は子供の頃から一切、興味がない。世界文学全集や偉人伝、広辞苑、広辞林が部屋にずらりと並べられ、その第二版と第五版の違いを読み比べて楽しむような子ども時代だった。父親は全国紙と地方紙合わせて、五社の新聞を読んでいて、僕は小学生に入ったときから「子ども朝日新聞」を与えられていた。
 おかげで文章を読むことが日常で、小学校三年生のときには分厚いプログラミングの解説書を読んで、「BASICマガジン」という雑誌に自作のプログラムを投稿し、掲載料を貰ったことがある。史上最年少とかで、電話でインタビューされた記憶がある。
 数学的知識や才能があったというわけではなく、富士通のマイコン「FM-NEW7」について来た、それぞれ千ページ以上ある解説書四冊を苦もなく読むことができたから、というのが理由だ。つまり「日本語が理解できる」という日本人として当たり前のことが出来ただけ。今思い返すと、小学生だった頃の僕の愛読雑誌は「月刊ハッカー」、「I/O(アイ・オー」などのコンピュータ系と、「月刊武術」、「ロッキンオン・ジャパン」などだった。図解や写真の横にびっしり文字が詰めて書いてあるもの。コンピュータだろうが、格闘技だろうが、音楽だろうが、まずは「文章」を読んで、それを理解していた。今どきの大学生が読んでも「難解」だと思うのではないだろうか、とふと思う。
 週刊少年ジャンプなどマンガなどは読まなかったし、映画も見た記憶がない。エンターテイメントとして楽しむのは、小説のみ。小学校低学年くらいは氷室冴子などのコバルト文庫系を読み、高学年に上がると芥川、太宰、三島などの純文学にどっぷりハマって、少しして村上春樹の鮮烈なデビュー作に衝撃を受けた。
 実感として、コンピュータのプログラミングは、文章を書く、という行為に似ているし、おかげで今もHTML / CSS、PHP、Pythonくらいなら書ける。
 楽器演奏も同じ。まずコード理論を理解して、そこから楽器で音を出すためにどこを押さえるのか、という順番。格闘技も同じ。身体の使い方を「理論」として理解することから始まる。

 今はインターネットがこれだけ普及したので、分からないことがあっても調べれば「文章として」すぐに出てくるから、それを理解するだけでいい。

 日々、流れてくるニュースはテキストである。文章である。読めば分かる。
 何かについてさらに深く知ろうとしたときは、最終的には学術書や論文に行き当たることが多い。決して、マンガやアニメやYou Tubeではない。
 だが、多くの日本人は文章が読めないので「映像」で情報を得ている。
 テキストを読めば一分で理解できるはずのものを、冗長な十分の動画を見てようやく理解している。
 名著とされる文学作品を「動画」で見て理解したつもりになる、というのは愚の骨頂だと思うのだが、今はそれが流行り。文学作品において、ストーリーは文体に支えられているものだけれど、そういった事情がすっぽり抜け落ちている。豊穣な表現、見事な比喩、情緒ある言葉の選択。それは日本語の文章を「読む」ことをしなければ行き当たることのできない作品の魅力であるが、そもそも日本語を読めないのだから仕方がない。

 ちなみに僕がYou Tubeを見る時は、すべて二倍速。等倍速では、あの時間あたりの情報量の希薄さ、冗長さに耐えられない。

 今や日本人の多くの人に対して立ちはだかる大問題。
「日本語が読めない」、こんなことが至上命題になるなんて。

 とにかく「分かりやすい」、「読みやすい」ということが最優先なので、複雑な言い回しや、例え話はまったく理解できない。
  本来であれば複雑な事柄を「より分かりやすくするために」用いられる表現が意味をなさない。つまり、核融合プラズマ生成を前提知識のない小学三年生に理解させるためには身近なものへの言い換え、例え話を用いるしかないのだが、それが「例え話である」ということそのものが理解できないのであるから、匙を投げるしかない、そんな状況に陥る。

「文章」を言葉の集積としてとらえず、「記号」、「絵」として捉えることしか出来ない人たちがいる。理解とはほど遠い「見た目」、「デザイン」。
 絵で描いてもらわないと分からない日本人。

 というようなことは前置きでしかない。ここからが本題だ。
 私は「無知の知」の自覚がない人間を忌避していると常々公言しているが、言い換えれば「すべて分かったつもり」の勘違いしている人間が大嫌いということだ。バカの自覚がない、と表現すると身も蓋もないから、そこまでは言わない。
「自分自身が知らないことは世界にたくさんあって、永遠に勉強し続けないといけない」という気持ち。つまり、知的好奇心があるかないか、ということである。要するにバカは大嫌いだ、ということでしかない。あ、口がすべった。

 教養と論理的思考回路のない、こういうバカが世の中の大半を占めるので、普通に働く能力を伸ばすこともせず、おかしなセミナーにハマってせっせと貢いだり、マルチビジネスに勧誘されて大金を失ったり、投資詐欺に大枚を叩いたり、絶対に勝てるFXとかに騙され何百万円もすったりしていて、それはもうアホの極みとしか思えず、バカがさらなるバカを騙してどうする、バカの拡大再生産、気持ち悪いな、と僕は思っているのだが、この長めの文章の最後のほうであえてこうして、自由に筆を運ぶことができているのも、つまりは「日本語が理解できないバカ」が大半なので、そういうバカ・スパイラルにハマっているやつは、ここまで読むことができずに途中で挫折しているという確信が僕にはあるからだ。長くて読めないから三行にまとめて、みたいなことを言うやつは、三行にまとめたところで理解はできないし、そもそも言葉を理解できないということは、人間ではなく動物ということだろう、としか思えないのだが、それでも人間のつもりでいるのならば好きにすればいいが、せめて「人間と動物を隔てるもの、それは『言葉』である」、ということの真意は掴んで、なるほど、人間には言葉があるから文明が築けたのか、くらいの境地にはいたろうぜ、とは思っているのだが、こうして書いても絶対に伝わらないし、ここまでは読んでいないので、もう諦めて筆を置くことにする。

 やれやれ。

 この世に究極の無知ほど危険なものはない。
  ーマーティン・ルーサー・キング

 An intelligent man is sometimes forced to be drunk to spend time with his fools.
 賢い人間には、周りの愚か者と共に時間を過ごすため、無理やり酔っぱらわなくてはならない時がある。
 ーアーネスト・ヘミングウェイ

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