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【大学入試センターに詩を愛しているとは言わせない・06/13】共通テスト2018試行調査・国語第3問の問3について

創作(虚構)は創造で ある はない

【問3】

問3 傍線部B「つくるということ」とあるが、その説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。

①  対象をあるがままに引き写し、対象と同一化できるものを生み出そうとすること。
②  対象を真似てはならないと意識をしながら、それでもにせものを生み出そうとすること。
③  対象に謙虚な態度で向き合いつつ、あえて類似するものを生み出そうとすること。
④  対象を真似ながらも、どこかに対象を超えた部分をもつものを生み出そうとすること。
⑤  対象の捉え方に個性を発揮し、新奇な特性を追求したものを生み出そうとすること。

https://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00035513.pdf&n=02-01_%E5%95%8F%E9%A1%8C%E5%86%8A%E5%AD%90_%E5%9B%BD%E8%AA%9E.pdf

 「つくるということ」の説明を求めています。
 この問題については、選択肢がすべて、「~ものを生み出そうとすること」となっていることにも注目しておきましょう。すなわち、「つくるということ」は、どのような「ものを生み出そうとすること」なのか、とたずねているわけですね。
 そして、重要なのは、傍線部をふくむ一文が、「枯れないものは花ではない。それを知りつつ枯れない花を造るのがつくるということではないのか」となっていることです。つまり、「つくるということ」がどういうものを生みだそうとするかといえば、それは、文字どおりには、‘「枯れないものは花ではない」と「知りつつ」、「枯れない花を」生み出そうとするものである’ということになります。
 ところで、この4段落の内容は、筆者の〈①人間の創作行為とは、枯れずに残るものは自然物ではないと知りつつ、それでも永遠に残るものを造ることである〉という考え方を述べたものでしたね。そして、それはまた、3段落の内容のくりかえしだ、ともいいました。すなわち、「人間が自然を真似る時、決して自然を超える自信がないのなら、いったいこの花たちは何なのだろう」という一文の反復だということです。
 そうしてみると、解答は、つぎのようになるでしょう。

【解答】

・人間が自然を真似て造った
  永遠に残るものは
   自然それ自体とおなじものではない
    と知りつつ、
・自然に存在するものを超え、
  永遠に生き続ける作品を
    生み出そうとすること。
  ↓
・X=人間が自然を真似たものは
   自然自体とおなじものではないと知りつつも、
・Y=自然に存在するものを超えて
   永遠に生き続ける作品を
    生み出そうとすること。
※端的にいえば、自然の百合と造花の百合は違う。自然物は神が創ったもの(creation)であるのに対して、人工物は人が作ったもの(fiction)である、という前提があります。これは、問4ともかかわる西欧の芸術理念の重要な論点のひとつでもあります。 

【選択肢】

・選択肢①の「対象をあるがままに引き写し、対象と同一化できるものを生み出そうとすること」は、解答Xがほぼ〈「対象をあるがままに引き写し、対象と同一化できるものを生み出」せないと知ること〉というのに合致しません。
 また、Y〈自然に存在するものを超えて永遠に生きつづける作品を生み出そうとすること〉も欠けています。誤答です。

・選択肢②の「対象を真似てはならないと意識しながら、それでもにせものを生み出そうとすること」は、X+Yが〈「対象を真似」た作品は自然物とおなじものでは「ないと意識しながら、それでも」対象を超えた「ものを生み出そうとすること」〉というのとズレがあります。誤答です。

※この選択肢の「にせもの」というコトバは、たしかに、本文の第3段落にあります。そこでは、‘アートフラワー’のことを意味しています。
 …ということは、その「にせもの」-‘アートフラワー’は、傍線部直前の「枯れない花」のことじゃね。だったら、この「にせもの」の部分まで間違ってる、とするのはおかしくね?とおもったひとがいるかもしれません。
 とはいえ、その本文の3段落には、「心こめてにせものを造る人たちの、ほんものにはかなわないといういじらしさと、生理まで似せるつもりの思い上がり」とあります。つまり、このばあいの「にせもの」とは、自然の百合の「生理まで似せるつもりの思い上がり」をもつ「人」の「造る」ものです。いわば、(おなじ3段落の)「自然を超える自信がない」(と筆者が批判する)「人」の「造る」ものなのです。
 それに対して、傍線部をふくむ部分の「枯れない花を」「つくるということ」は、筆者が反語で強調しながら述べる箇所です。したがって、それは、自然の百合の「生理まで」は「似せる」ことができないと知りつつも「自然を超える」「花を造る」ことにもなるのです。
 要は、「にせもの」は、自然をコピーできると思い上がってはいるが、自然をこえるという自信のないヘタレのつくったもの。傍線部は、それとは違って、自然を超えたものは自然のコピーにはならないとわかってはいるが、それでも自然を超えてこーと述べているところ。
 選択肢と本文は、似た単語を用いているようであっても、文脈レヴェルでおなじことを述べているわけではありません。

・選択肢③の「対象に謙虚な態度で向き合いつつ、あえて類似するものを生み出そうとすること」というのは、(X+)Yとほぼ逆になります。つまり、〈「対象に謙虚な態度で向き合いつつ、あえて類似」しない「ものを生み出そうとすること」〉というべきでしょう。誤答です。

・選択肢④の「対象を真似ながらも」は、X〈人間が自然を真似たものは自然自体とおなじものではないと知りつつも〉にほぼ対応しています。
 また、「どこかに対象を超えた部分をもつものを生み出そうとすること」は、Y〈自然に存在するものを超えて永遠に生きつづける作品を生み出そうとすること〉に合致します。正答です。

・選択肢⑤の「対象の捉え方に個性を発揮し、新奇な特性を追求したものを生み出そうとすること」は、たしかに、Y〈自然に存在するものを超えて永遠に生きつづける作品を生み出そうとすること〉に合致しないわけではないかもしれません。
 しかし、正答の④と違って、X〈人間が自然を真似たものは自然それ自体とおなじものではないと知りつつも〉が欠けています。誤答です。

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