海外獣医志望のアメリカ大学留学戦闘記録 〜後編〜

こんにちは、あらめんです。
僕は獣医を目指して大学〜大学院までアメリカ留学し、現在はアメリカの動物病院で働いています。
前半に続き、“4年間のアメリカでの学部生活”について書いていきます。
この記事では3〜4年生のことを書いていきます。

前半はこちらです。

3年生からは遺伝学や有機化学、生理学などの”上級生最大の関門”と呼ばれるクラスを取ることになりました。これらのクラスで医学部や獣医学部進学を断念する人が多いと言われていました。
実際、有機化学は結構カオスで、カンニングでテスト中強制退場を食らう人、テスト開始前に覚えてきた式を必死にテスト用紙に書いてしまい強制退場を食らう人、実験ラボのレポートの他人のデータをコピーして強制退場を食らう人、など色々見ました。

理系科目(化学、物理、生物)はグループワークも多く若干トラウマがある自分ですが、言葉だけではなく実力と行動で示せる、というのも同時に理解しつつあるのでなんとかなりました。
グループワークは大抵、ほぼ誰も知らない状況から始まるので(3年生は流石に数人知った状態から始まったので楽でした)、最初はまとめ上手な人の意見が通りがちでした。しかし、その人が間違っていることが多いとグループ内で別の派閥ができたりなど、皆それぞれ自分の成績に向かって必死になったゆえの場面がありました。

僕はそういう時にポジションをちゃんと確立したかったので、最初の数回はしっかり予習をしてちゃんと正解を話すようにしておきました。それである程度は自分の意見も聞いてもらえるようになりました。
結局、何度説明しても理解してもらえない(受け入れてもらえない)人とは決別して同じ意見の人たちと固まってグループ内で違う解答を提出していました。

そんな感じで3年生までで理系科目と教養科目を取り終えてしまったので、4年生は畜産学科の授業メインになりました。
ひたすら飼料を学ぶクラス(Feed Science)やお肉のクラス(Meat Science)のような馴染みもないものが多かったので苦労しました。ミートサイエンスではお肉の部位を覚えたり、食べた感触で肉を当てるテストがあったり、期末はソーセージの食べ比べ問題が出たりして楽しかったです。

大学院の書類の提出期限が4年生前期の上旬でした。正確には4年生前期の成績は1月に提出、後期も提出が必須でした。その時にはGPAなどによる数字選考はほぼ終わっているので参考程度にしか見られなかったです。
なので、4年生は最低履修単位数である12単位を2回だったのでそれなりに快適に過ごすことができました(前期は大学院受験準備、後期は面接で忙しかったですが)。

1年生前期の当時にとった時は早口すぎてまじでほぼ何いってるのかわからなかった畜産学科の先生の別のクラスを4年生の後期に取ってみたら、無事いい成績を収めることができてよかったです。
1年生の授業はラボがメインで、10km離れた農場集合ね!とか結構あったのですが、車を買う前までは先生の車に乗せてもらったりなどお世話になっていたので、僕のことを覚えてくれていました。
卒業式の時も声かけてくれ、ハグして嬉しさの余り泣きました。笑

4年の後期は面接で各地を飛び回る日々でしたが、成績は気にしなくてよかったので楽でした。面接については別の機会に詳しく書こうと思います。

もっと細かいトラブルなどは数えきれないほどありますが、学部生での授業は以上になります。


要するにゼミ、研究室編

次は、大学生活のほぼメインを占めることになった、研究室編です。

最初の方に合格者平均について書きましたが、GPAの他に必要なものの1つに

  • 在学中平均獣医(動物)経験 2200時間

というものがあります。
これは結構抽象的な説明なので少々わかりにくいかもしれないですが例を挙げると
動物病院で見学やシャドーイング、エクスターンなどの職務経験
大学や大学院のリサーチの手伝い
動物園や水族館等主催のサマーエクスターン
などが当てはまると思います。動物に携わるものなら何でも当てはまると思うので、ペットショップやシェルター手伝いなども入るかもしれません。
が、レジュメにかける内容の方が好ましいかと思うので、先にあげたようなものの方がいいのかもしれないですね。

結論として僕がやったものは
動物病院でのサマーエクスターン 500時間
大学院のリサーチ手伝い 2000時間
になります。
動物病院は夏休みに日本で2ヶ月泊まり込みで働かせてもらいました。
2ヶ月で何故500時間を達成できたかは考えてはいけません。絶対に。

大学院のリサーチ手伝いに関してですが、こちらは日本でいう“ゼミ”という感覚に近いのかなと思います。
アメリカでは卒業に必要な条件が必要履修単位を取り終える、のみなので取り終えれば1年早く卒業することも、ゆっくりとれば5−6年かけて卒業することも可能です。卒業論文や卒業制作、というものはクラスを通して出されるものがある程度で卒業に絶対に必要なものではありません。
僕が取った4年生用の豚のクラスでは“ぼくが考えたさいきょうのファーム”みたいなペーパーを書きました。確か20ページくらい。

ゼミ自体は存在していますが、自由参加になります。自分が興味のある分野の研究をしているところを訪問し話を聞き、気に入ったのならアプリケーションを通して入れてもらう、というような感じでした。
僕は当時、癌細胞についての研究がしてみたい、というのと大学院受験の合格者平均を見ていたのでどこかのゼミに入りたいと考えていました。たまたまご縁があり、渡米翌日に日本人のボスが持っている研究室を見に行くことになりました。
そこで、雑用でも何でもするし無給でいいのでとりあえず研究室に籍を置かせてほしいとお願いしたところ、ボスも大学院進学のために実績を作りたい人がいるのを知っているので受け入れてもらえました。

そこからは、当時全く研究も英語もわからないので、学部の授業と並行して時間があればラボにいるようにしました。何をいってるか本当に何もわからなかったけど、毎週行われるラウンドやジャーナルクラブも出席しました。本当に全然わからんでした。
数ヶ月雑務をこなした後、僕も研究テーマをもらい、上の人のサポートを受けながら実験を始めることができました。
ボスが夜遅くまで滞在していたこともあり、僕も遅い時は週に何度か23時や24時まで滞在していました。休日も関係なく研究ノルマをこなすためにラボに通いました。ボスの協力もあり一年生の終わりには幾つか学部生用のリサーチアワードを受賞できました。
リサーチアワードはレジュメにインパクトを与えられるのでとても嬉しかったです。1年生の時は何も知らず雑務で雇ってもらっていましたが、2年目からは当時のリサーチメイトに教えてもらったのもあり、正規のルートを通して雇ってもらえることになりました。1年位は無給で働いていましたが、2年目は有給になりました。

3年働きリサーチアワードを4つ、ポスタープレゼンテーションでアワードを1つもらえたのでとても嬉しかったです。
労働時間が長くボスには毎日ボロクソに言われ当時は本当にしんどかったですが、とてもいい経験になったと思います。そして自分が(ブラックな)研究職が向いていないことがわかってよかったです。


大学院進学準備を本格始動

色々(本当に色々、今でも笑えません)あった課外活動は2年生の時に担当していたので、3年生になってからは本格的に大学院進学の準備を始めました。

今は必要としない所が多いようですが、当時はGPA等ともう一つ、GRE(Graduate Record Examinations) という大学院版センター試験のようなものを受ける必要がありました。

こちらは国語(Verbal)、数学(Quantitative)、ライティング(Analytical Writing)の3セクションに分かれていて、大学院によっては各セクションの足切り点数が決まっていたり、総合得点で足切りが決まっていました。
僕の受ける大学院は各セクションの足切りが設定されていなかったので思い切った策に出ました。
Verbalはほぼ最低限しか勉強せず、QuantitativeとWritingで勝負することにしました。理由は僕は英語力がお世辞でも高いとはいえなかったので、当時リサーチや授業の成績を維持しつつVerbalの勉強をしっかりできるとも思えなかったからです。
一番最初に練習問題を解いた時の感想としては、真面目に何いってるのか全然わからなかったので勉強して点が取れるようになるかわからない、でした。Quantitativeは高校数学入門レベルの問題が多かったのでそこまで困ることはなく、残りのライティングセクションを勉強しました。具体的な勉強方法は、とりあえず練習問題のライティングを解く→大学のライティングセンターに持っていき添削してもらう→何度か読み直した後でまた同じ問題を解き添削されたものとどれくらい近い内容でかけているか、というのを繰り返していました。ライティングセンターとは、大学にある施設の一つで主にエッセイなどの添削をしてくれる所です。僕は大学1年の時から事あるごとにチェックをお願いしていました。結果として、Quantitativeはほぼ満点、Verbalはとても低い点数で2つの平均は合格者平均までなんとか持っていけました。Writingもなんとか合格者平均だったので個人的にはノルマクリアかと思いました。

これも今となっては笑い話ですが、3年生の時とにかく忙しすぎて嫌になってしまい、大学院進学ではなく日本で就職も検討していました。
当時は日本の動物病院でエクスターンをしていたので、週1(????)の休みは毎回OB訪問に行ったりキャリアフォーラムに行ったりしていました。就活自体はすんなり終わりましたが、こちらも準備期間は結構大変でした。
エクスターンの夏にオンラインで授業を2つとっていたので、仕事が終わってから病院に残ってパソコンを借りて授業を受けていました。病院の寮に住まわせてもらっていたのですが、まさかのWi-Fiが存在していなかったのでテストを受ける時は寮の近くのネットカフェ(快活クラブ)で明け方まで受けたりしていました。2ヶ月の臨床経験がとても楽しかったので結果として就職ではなく大学院進学を目標に継続しましたが、就活で獣医医療以外の社会を知れたのはよかったです。
今思い出すと、当時こんな荒れた生活してたのかと思うとゾッとしますね。今じゃ絶対無理。実際、1度勤務中に高熱で倒れました。
4年生の前期になり獣医大学院へ入学願書などを送った後は大学院から書類選考の結果が随時送られてきました。北米獣医大学院の入試システムに関しては後日また別途で詳しく書こうと思います。

一番最初に連絡が来たのは在学中だったカンザス州立大学!
結果はまさかの書類落ち。理由としては”GREのセクションの足切り点数に達していない”でした。完全に盲点。オフィシャルには書いていなかったですが、実はセクション毎の足切りが存在していまいした。落ちてしまったものは仕方ないのと、他にも5校ほど出していたのでひたすら待機。
結果として残りの5校のうち4校は最終選考のインタビューに呼んでもらえました。カリブ海にある大学院はオンラインでのインタビューだったので数週間後に行われましたが、その他全ては現地で開催でした。他に呼ばれたのはワシントン州立大学、後はヨーロッパの大学2つでした。カリブの大学院はインタビューの後数週間後にすんなり奨学金付きの合格通知が届いたので、もしかしたらこれ結構いけるのでは??なんてムードで年明けの面接に向けて準備を進めていました。
確かカリブから合格通知をもらったのが10月中旬で、ワシントン州立からインタビューへの呼び出しが届いたのがサンクスギビングでした。
ワシントンからもらった時はめっちゃ嬉しかったです。そしてあっという間に年明け。ヨーロッパの大学院は西海岸での面接だったので1月下旬―2月に西海岸に通っていました。インタビューの数週間後に合否のメールが届き、ヨーロッパは全滅、ワシントンは補欠でした。結果としてワシントンは数ヶ月後に補欠合格をもらえましたが、奨学金の対象外で学費が高すぎたので諦めました。
大抵の面接は自己紹介やら志望理由やらの基本的なものとケーススタディのようなものでしたが、ワシントンでは面接の質問の中の一つに、“うちには年に何人か日本の獣医大学からの交換留学生が来るが、彼らは動物を触るのを怖がったり耐性がなかったりするが何故か”と聞かれました。そんなの日本の大学に行ってないから知らんよ、と思いましたが、アメリカと日本の入試のシステムの違いについて説明。高校生の間に自分に適性があるかはわからない、自分もアメリカの大学で適性がなく進路変更していく人を何人もみた、みたいなことを答えました。
面接官がとても不思議な顔をしていたのを鮮明に覚えています。

面接が終わり進学先が確定してからは、特にやる気もなくだらだら授業をこなして無事卒業。特に面白いこともなかった気がします。

いざ自分で読んでみると信じられないくらい忙しい生活でゾッとしました。
それでもなんとかこなす事ができた一番大きい理由は

友達がいない

だったと思います。この点に関しては田舎留学してよかったかなと思います。
誘惑されるようなものもなければ現地の農学部の学生は生粋の田舎っ子が多く外者には厳しい人が多かったので、本当に友達もいなく遊ぶこともなかったです。おかげで週末はしっかり勉強したりリサーチに時間を割けたので結果としてはよかったかなと思います。息抜きで旅行やゲームは定期的にしていました。

こんな感じで4年間の大学生活が終了し、夏から獣医大学院に進学しました。
大学院の話はまた別の機会に書こうと思います。学部生活4年間は結果として綺麗な形で終わってよかったですが、本当に非常に苦しかったのでもう2度と繰り返したくないですし、他人にも安易には勧めないです。
ですが、この先北米獣医大学院進学を目指してアメリカの大学に留学を検討している人に少しでも参考になればいいかなと思います。


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