見出し画像

下書きが“今”とリンクしなくなる前に


これは2024年6月14日に書いている。
この冒頭の一文には2024年6月14日に投稿するという強い意志が込められている。

昨今、文章を用いたSNSは数多く存在しており、これを見ている人の大半がそれらを利用した事があるだろう。言わずもがなこれを投稿しているnoteもその一つだ。

昔、「Twitterは言いたいところを言う場所だから」なんて言って同級生の悪口を堂々を書いていた女子を思い出す。最近は見なくなったが、バカリズムがSNSについて「あなたが勝手にフォローして見に来てるだけだから、それで人のものに文句言うってまあまあな言いがかり」(意訳)と話している画像が大バズりし、至る所で使われていたが、僕はその意見がどこか腑に落ちなかった。
バカリズムの意見に託けて、「Twitterは言いたいところを言う場所だから」なんてふんぞり返って偉そうに物申す系の若者が増えた気がしてとても不快だったのだ。

あなたはどのような時にSNSで文章を投稿するだろうか。

僕は、好きなアニメの続編発表や好きなアーティストのライブ発表など、ただただ嬉しい時はそのまま何も考えず「やったー!嬉しいー!」なんて馬鹿みたいな投稿をするように心がけている。その発表を喜ぶ人がいる事を運営側に伝えたいし、純度100%の投稿をするのがする側も見る側も気持ち良いと思うからだ。

ただ、それ以外の社会に対する不満や疑問、人間について深い部分について、何か気付きがあっても衝動的に投稿しない。その気付きは純度100%の喜びのように容易に言語化出来ないからだ。そのため僕はメモ、ないしは下書きをする。

例えば、この投稿は本日の仕事中に「下書きって溜めちゃうと後から出しにくいよな」なんてふと思って自席のホワイトボードにメモして、トイレに行った際にnoteの下書きに「下書きと今の気持ち」と残した。それを休憩中の今、書き出している。

僕はnoteやXで後で深く考えたい事を概要だけ下書きに残す。後で誰かに伝えたい事や誰かに会う時に話したい事はiPhoneのメモに残す。ただその下書きをした時の気持ちが純度100%であり、いざその気持ちに向き合おうとした時にはもうその気持ちが薄れている事が往々にしてある。

つまりは下書きが今の気持ちとリンクしなくなっている事があるのだ。

「後でじっくり考えたい」と思うほどの熱量のある気持ちであるにもかかわらず、すぐに向き合わないと薄れてしまう。人間とはいかに刹那的生き物なのだと思い知る。

noteに #熟成下書き なんてハッシュタグがあるが、僕がこれをつける事はないだろう。


そして今日、もう一つ仕事中思った事をツイートした。

下書きに溜め込んだらきっと日の目を見なかっただろうからアウトプット出来てよかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?