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アンバランスコミュニティ


最近、社交性を身に付けようと意識している。

それは会社の飲み会に積極的に参加するという事ではなく、友達と遊びに行く事が増えた。

社会人になり、彼女と同棲を始めて、彼女と一緒の休みの日は一緒に過ごし、一人で休みの日は実家に帰るのがルーティーン化している。
それもそのはず僕の周りの友人も社会人が大多数なわけで1-2ヶ月前から予定を合わせないと、偶然休みが合うなんて事はそうない。

そうして休日に彼女と家族以外に会う事が極端に減ったが、友達との関係は濃度は変われど消えはしないのだと実感した。

コロナ禍や社会人になるタイミングで数少ない友達が篩にかけられ、疎遠になってしまったように思っていたが、決してそんな事はなかったのだ。

人は変わりゆく生き物だから、「あの頃のあいつと仲良かったけど、今はもう合わない」なんて事は往々にしてあるし、「あんなに好きだったのに今は大嫌いだ」なんて事だってあるだろう。

それでも決して繋がりが途絶える事はないのだ。
あいつと過ごした時間が、思い出があるじゃないか。それは誰にも奪う事が出来ないものだ。例えあいつがそれを忘れてしまったとしても会って話してみれば「あーそんな事もあったっけ」なんて笑ってくれるだろう。

今のあいつと関わらずして「あいつ変わっちまったな」と決めつけてしまうのは、恥ずべき事なのではないだろうか。
今のあいつとも話してみたら「変わったところもあるけど、やっぱり変わらねえな」って笑い合えるものなのかもしれない。

先日、少年ジャンプ+で連載中の『ルリドラゴン』にてこんなモノローグがあった。

仲良いとか嫌いとか
なんかそういうのは一本の線で繋がってなくて
同時に色んな感情が共存していて
そうやってアンバランスなまま
繋がってんのかもしれない

『ルリドラゴン』第16話

「あの頃は仲良かったけど、今のあいつはあの頃と変わってて嫌だ」とか「でも、あの頃一緒にいて楽しかったな」とか色々ぐるぐる考えてしまうけど、友達なんて一緒にいて楽しいかどうかに尽きるんじゃないか。

毎週とは言わずとも月に一回なのか、それぞれのタイミングなのか、会う頻度は友達によって違うけど、それは友達の仲の良さの尺度とは異なるし、そもそも友達に優劣なんてない。

人間関係は、複雑でいて単純なのかもしれない。
周りも自分も変に大人になった気でいるから複雑に見えるけど、一緒にあーだこーだ言い合って笑い合えるなんて最高じゃないか。
一緒にいて楽しければ友達だろう。

疎遠だと思っていても繋がりは消えないし、
相手が求めるあの頃の自分と違ったら...なんて考える必要はない。逆も然り。

今の相手の人となりを決めつけず、その場の空気に飲まれる事もなく、素を曝け出してごらん。
きっとタイムトラベルしたようにあの頃と何も変わらない時間がそこにはあるよ。

自分が考えすぎなだけで友達は君を待っているかもしれないよ。

自分も周りも歳を重ねて環境や価値観も変わっている部分もあるだろうけど、疎遠だなんて寂しいじゃないか。

アンバランスでも必ず心のどこかで繋がっているのだと信じていきたい。

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