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Mr.罪悪感の手を取った先に


先日、またしてもこいつと遭遇してしまった。いや、遭遇しかけたという方が適切かもしれない。

職場でこれまでほぼ僕一人でやっていた案件を新しく入った後輩が共に担う事となった。
その案件の「今日は僕がここを担当するのであなたはここをお願いします」といった一日の振り分けの権利は僕にあると言っても過言ではない(大袈裟な言い方をしているが、マジで大した事ではない...)。

そんなある日、明日対応しなければならない案件で、めちゃくちゃめんどくさくなりそうなのが目に見えて分かる案件が発見した。ただそれを最近入った後輩に押し付けるのも良心が痛み、その日は仕方ないと腹を括り、翌日の自分に委ねて帰宅した。

翌日、別件で気分が下がり気味だった僕は、今日対応しなければならないメンドクサ案件を対応できる心の余裕はなかった。でも後輩に押し付けるのも...という葛藤と戦った末、押し付けてしまった。僕は罪悪感よりも自分の疲労感やネガティブ感情を回避する事を選んだのだ。
後輩はそのような事は露知らず、いつも通りランダムに振り分けられたと思っているから尚の事心が痛い。

案の定そのメンドクサ案件は、めんどくさく展開されて解決まで長い時間を要した。
全てを終えるといつも明るい後輩も疲れたような暗い表情をしていた。それを見てさらに心が痛んだ。

ただ僕が対応していたら、疲労感やネガティブ感情がどっと押し寄せていたであろう事も明白だ。

Mr.罪悪感の手を取った事でこれらを回避できたが、罪悪感は押し寄せる。
ただ大きく括れば罪悪感だってネガティブ感情だし、ネガティブ感情が芽生えれば疲労感も蓄積される。結果何も回避出来ていないのでは、とまで考える。

嫌な気持ちになるのは大前提でどちらの方がよりマシかという残酷な選択を迫られたという事だ。
そんな残酷で最悪な選択を迫られる社会はゴミだなと憤りを感じる。

あなたならどちらを選ぶのか、ラジオで議論したいテーマである。

ラジオやってるから聴いてくれたら嬉しいです。(シンプル宣伝)

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