「片付けを巡る"とうそう" 」

    よく部屋が散らかる。部屋は自分の心内を表すのだから綺麗にしなさいとよく言われていた気がする。確かに、これが私の心の写鏡であるというならば納得する。一見乱雑でごちゃ混ぜ、しかし自分にとっては緻密に計算された利便性の高い空間である(と思うようにしている)。もしも心が可視化できたならきっと自分の心もこんな様であるのだろうと思ってしまう。

    片付けとは難儀な試練であり定期的に訪れる。本を戻さずに散らかっていく、服をしまわずに積み重ねていく、疑いもなく全てが自分の行動により引き起こされている。そして片付けとはそんな過去の日々の怠惰、欠陥を埋め合わせていく作業とも言えるかもしれない。つまり、私たちには片付けに「闘争」するか、片付けから「逃走」するかという2択が存在する。これはどちらも大切な選択肢だ。そして社会においても私たちは常にこの選択を迫られる。全てに「闘争」するのは大変で、生きづらい。しかし全てから「逃走」すれば自分を肯定できなくなってしまう。大事なのは中庸、つまりちょうどよさだ。だからこそ私はちょうどよく散らかし、ちょうどよく片付けた部屋でまた、生きていくことの難しさ、楽しさを考えてしまうのだろう。

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