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日々是雑感2021/09/09

印鑑というものは無用の長物なのだろうか。権利行使の証とか言われているけど、自分の中では「仕方ないなぁ」で済ませている。あったらあったで使い、なかったらなかったでいい。

欧米では印鑑なんでものは当然なくサイン(sign)である。こちらは筆記体であったり何書いてあるのかわからないものまで様々だが、今は殆ど廃れたカード取引のサインや契約書のサインなんかは何かかっこいいなぁと感じることもしばしばである。

自分も実家脱出の際に印鑑セットを購入、実印、銀行員、認印と、それぞれ設定サイズの中で最大のものを購入した。実印も認印も使用したら使用したで上司からデカ過ぎると文句を言われたが、心の中ではうるさい俺のこだわりだと吐き捨てていた。

親からもらったちゃんとした印鑑も今は実印としては使っていないけど、まだ大切に保管している。印影に不満があるが、取引上問題ない。

そう、自分は印影にもこだわりがあるが、押しごたえのある印鑑に拘っていることに気がついた。

印鑑は無下な扱いができないため、印鑑シートとか朱肉とか購入しなければならないケースも多い。そのため、綺麗に陰影を残そうとか、どうもそっちの方に意識がいってしまうらしい。

だが、実生活において印鑑が大活躍する機会はそうそうないわけで、殆どが引き出しの奥の方に行ってしまうのも無理ないかもしれない。自分は今の就労移行支援で役所に提出する書類に関して、殆ど実印を使って提出している。何回か使っていて何故か気持ちいいのだ。何でだろう。

このコロナ禍の中、電子印鑑も購入した。実印風と認印風しかなかったが、両方個人用で購入した。何故風なのかというと、電子処理しているから印鑑登録で使えないのだ。要はデスクワーク用の印鑑として需要があるのだ。

この電子印鑑、何かと自分も気に入り、自分の書類であったり、自分の文章であることを証明するための印として使ったりと、なんだかんだ言って楽しい。こういう活字では何かと味気がなく、またスタイラスペンで署名したところで、物足りなさがある。そこで電子印鑑と署名をセットで使うことによって独自のものと主張できるからである。

昨今の印鑑の縮小傾向は自分も理解できるけど、どうも自分は根っこに美術屋芸術屋の習慣が染み付いたがために完成品にサインや落款の癖をつけていた時期があった。おそらくそれが原因かもしれないけど、たまにしか使わなくても、楽しめる機会がある印鑑に感謝したい。

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