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日々是雑感2021/06/24

如何に先を読むことが難しいか。

教員時代も生徒の特性を吟味して進路先のカリキュラムを予想したし、基礎デッサンの弱点や強みを把握した上でどうしようかと悩んだ。

前職では取扱商品や取引先の情報が口伝でしかなかった。そのため、商品の写真を撮ったり、商材のありとあらゆる情報、不具合や破損箇所の情報、備品のメンテナンス情報をとにかく文字化・写真化し記録をとり、次に備える共有、次にやってくる顧客に不備状態を解消しようとどれだけ頭を下げたことか。ただ、異動後は上司はそういったことはどうでもよかったらしく、結局現場の人間で写真などを上げ続けた。

今の就労移行支援でも作業に必要な道具が揃っていない。また必要な消耗品が足りない状態が続いており、仕方なしに自腹を切って消耗品を潤沢にして作業した。もちろん、責任者は消耗品のことまで目が届くわけがないので、持ってきて正解だった。

どれも先を読むことである。人一人の将来、会社の不備や不足に対して、将来発生しうる可能性、そして近々の作業に対するリスクを鑑みて自分がやってきたことだった。

よくよく考えたら、先を見ることは上に立つものとして、必要不可欠の視点であり、自分の立ち位置ですぐやれる事・最大限行えたことである。

未来という事象を読むのは決して占い師のようなことではなく、人間の知恵と知見と知識を踏まえた上での可能性であって、預言者ではない。誰もがやろうと思えばやれることである。

前職も商材の詳細がわからないとデスクワークが部署に1回1回問い合わせてやっていたら面倒になったから、情報をあげてほしいとのリクエストがあった。すぐやれるじゃん・リスク管理にもなる・全員が共有できるじゃんという軽いノリで会社全体の問題としてやっと取り組み始めたのは今から2年前。15年近く会社を動かしてそこまでの意識に行きつかなかったというのは、今になって恐ろしいなと感じだ。自分たちのお金意識もそうだが、自分たちが如何にやりやすくするのかという感覚が、デスクワークではなかったのだ。

先を読む。今の時代動いたもの勝ちの様相を呈しているが、先を読むために見る事・経験することの大切さを知った今日だった。

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