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『手裏剣戦隊ニンニンジャー』忍びその1「俺たちはニンジャだ!」評価:★+

評価は、基本的に以下の10段階です。
・★★★★★…最高。大傑作。愛する。面白い超えて芸術の域(5点)。
・★★★★…大満足。傑作。大好き。凄く面白い(4点)
・★★★+…満足。名作。好き。かなり面白い(3.5点)
・★★★…平均より上。秀作。好感。中々面白い(3点)
・★★+…及第点。佳作。どちらかと云えば好き。まぁ面白い(2.5点)
・★★…普通。凡作。特に可もなく不可もなく(2点)
・★+微妙。凡作未満。カス。どちらかと云えば嫌い。つまらない(1.5点)
・★…難あり。駄作。カス以下。嫌悪感。かなりつまらない(1点)
・+…最低。大駄作。クズ。嫌い。マジでつまらない(0点)
・×…最悪。超駄作。ゴミ。大嫌い。つまらない以前の問題(-1点)

 リアルタイムで放送されていた頃は、役者陣の演技力がネット上で酷評されていたのを知って視聴する意欲が湧かなかったが、Youtube配信が始まり筆者の友人のクロサキさんも感想を書き始めたので、僕も書こうと思う。
 クロサキさんは酷評していますが、実際に視聴していないと話が分からないので、話に随いて行く意味合いが強いです。
 また『第7回カクヨムWeb小説コンテスト』『フジテレビヤングシナリオ大賞』『テレビ朝日新人シナリオ大賞』に応募するなど、筆者自身、アウトプットが中心になっていたので、インプットする意味合いもあります。

<放送データ及び評価>

忍びその1「俺たちはニンジャだ!」2015年2月22日放送
脚本:下山健人
監督:中澤祥次郎
評価:★+(1.5点)

声優と同じ場所で演技する東映特撮の特殊性

 さて、酷評されていた演技力だが、思っていたより酷く感じなかった。
 これは「演技が下手だ」と事前に知っていたためハードルが下がり、筆者にはそれほど酷く感じられなかったのかもしれない。
 口コミやネットの評判は、基本的にオーバーに受け取り易い。
 そのため評判を知ってから視聴すると、それほど酷く感じられなかったりする。これは「ニンニンジャー」に限らず、映像作品全般がそうだ。

 しかし、それだけではないと思う。

『ニンニンジャー』の役者の演技力が酷いと云うよりも、「視聴者はどんな演技を嫌うのか」を知る意味で視聴した方が遥かに勉強になると思う。

 それは、日本の視聴者は俳優の「鼻声」を嫌うということである。
 鼻声が気になったのはレッドの子とホワイトの子である。
 現実の世界で、鼻声の人が居てもそれほど気にならないだろう。
 しかし、映画やテレビドラマではそうはいかない。
 レッド役の子を始め、役者陣は新人ながら頑張っていたと思うが、映画の吹き替えやアニメなどで、声優さんのクリアな声色に耳が慣れている日本の視聴者は、鼻声がノイズに感じてしまいがちなのだ。

 また、特撮ファンは忘れがちだが、東映特撮はベテラン声優が怪人役などで多数声を当てているため、一般の映画やテレビドラマと比べると、声優の声色と顔出し俳優の声色が混合する特殊な環境に置かれている。
 これは、特撮番組を視聴しているファンにとっては当たり前のことだが、一般の映画やテレビドラマでは珍しい。
 だから、彼らが声優と同じ場所で演技することがない一般のテレビドラマや映画に出演して同じ演技をしても、実はそれほど演技力を酷評されていなかったのではないかとも思った。
『ニンニンジャー』よりも演技力が酷い俳優なら幾らでも見たことがある。例えば、本田翼などはやたら知名度は高いが、テレビドラマに出演した時の彼女の演技は『ニンニンジャー』よりはっきり言って酷いし、『あなたの番です』で真犯人を演じた元・乃木坂46の西野七瀬は大根演技をかなり酷評されていた。あれから時間が経ったし、少しは上達しているのかと思いきや、相変わらず叩かれている状況だ。

 スーパー戦隊シリーズに限っても『未来戦隊タイムレンジャー』にタイムピンクを演じた勝村美香さんなどは最後の方は上手くなったが、最初の頃は『ニンニンジャー』の5人よりもアテレコに苦労していた。
 そういった酷い演技も他人様より視聴している筆者にとってはこの程度の大根では大根とも思わないと云うのが本音である。

 筆者は、日本の映画やテレビドラマで、芸能事務所のゴリ押しでキャスティングされた顔だけのモデル崩れ俳優の大根演技を幾つも見てきたせいで、もしかしたら一般の方より棒読みのハードルが低いのかもしれない。

下山健人脚本の弱点①『ツカミ病』の悪しき病理

 筆者が気になったのは、俳優の演技力よりも脚本の難点である。
 脚本を書いたのは、下山健人さんで、『ニンニンジャー』前年の2014年、「週刊少年ジャンプ」で『TOKYO WONDER BOYS』で原作を担当したのだが10週で打ち切りを喰らっている。
『TOKYO WONDER BOYS』にはストーリーに対する酷評が多く書かれるが、これらの酷評が指摘する悪癖は『ニンニンジャー』にもよく現れている。

 端的に云って下山脚本は、最初の「ツカミ」の重要性を分かっているのか分かっていないのか、よく分からない点が問題である。
 下山さんもプロだから、冒頭のツカミの重要性は頭では理解しているとは思うものの、本人が作った作品ではツカミが凄く下手なので、批判が不能になってしまう。誰かが問題点を指摘したり、批判したりしたところで、本人も頭では分かっていることに過ぎないだろうから説得が不可能であることが外部から批判する前から既に明白なのだ。
 要するに、手の施しようがない。

 まず冒頭の「ツカミ」として、4年ぶりにやってきた忍術道場がいきなり爆破されて、奇妙な化け物が襲撃してきて、主人公がアカニンジャーに変身して敵を倒すシーンから物語が始まった。
 Youtubeのコメント欄には、とりあえず第1話の見どころは未だにファンに語り継がれる「 実 家 爆 発 」だと書かれていた。
 この出だしの何を面白がれるのかは筆者には全く理解出来ない。
 ただ、玩具販促もあるし、戦闘シーンを早めに始めたい意図は分かった。
 戦闘シーンから始まる冒頭がダメとは言わない。
『侍戦隊シンケンジャー』も、冒頭はシンケンレッド単体の戦闘シーンから始まっており、同じ構造を採用しているだけだ。
 また、戦闘シーン自体は『シンケンジャー』の頃よりもアクションが進化しているようにも見えた。ここは、アクション監督やそれに答えた数多くのスーツアクター達を賞賛すべきところだ。

 しかし、『ドンブラザーズ』の第1話感想でも書いたが、冒頭でいきなり戦闘シーンから始められても、視聴者は意外と盛り上がらないのが現実だ。
 これは、冒頭の段階では視聴者は何も知らない状況から話を見始めるので感情移入が難しいためだ。
 だから実家が爆発したと云われても、面白がれずにぼうっと視聴していた人が大半なんじゃないだろうか。
 また、『シンケンジャー』のシンケンレッドは、隙間から出現したナナシ連中に襲われていた一般人を助けるために戦っていたのに対して、『ニンニンジャー』のアカニンジャーは、自分の家の忍術道場を爆破されたところに対抗するために変身して戦っていた。つまり「人助け」ではなく、個人的な「防衛戦(対抗戦)」であり、「善行」になっていない
 この辺りもシナリオの弱さを感じざるを得ない。
 ファンの人は「実家爆発」の出だしを楽しんだのだろうが、ファンでない一般視聴者からしたら「だから何?」としか思わない冒頭でしかない。

日本の脚本・小説のレベルを下げる『ツカミ病』

 序盤のツカミの重要性は、もはや誰でも分かっている常識なのだが、この認識が広がったせいで、却って創作業界全体のレベルが下がっている弊害が発生している。

 編集者を実際にやられているこの方のように、「作品冒頭で9割決まる」なんて断言している方も居て、筆者は非常に害悪だと考えている。
 冒頭が良ければ作品が決まるなんてのは大間違いであり、『竜頭蛇尾』と云う言葉があるように、冒頭は良かったが結局つまらなかったと感じられる作品なんて幾らでもある。
 っつうかそんなことも分からないで、「冒頭で9割決まる」なんて言っている時点で、「自分達は冒頭しか読んでいません」と告白してしまっているようなものであり、彼らが勤めている出版社の選考にはかなり疑念を感じざるを得ない。それで出版不況と言われても、「当たり前だよ、お前らの本に価値なんか無いよ」と切り捨てるしかない。
 同じようなことを云う指南書やネット上の解説は凄く多いので、冒頭ばかりに気を取られて、全体を面白くする工夫が出来ていないのではないか?と云った問題を感じる機会が増えてきた。

 シナリオ・センターが近頃は『トップシーン脚本大賞』を開催していて、「トップシーンのおもしろさだけで勝負!」と銘打ってコンクールを開いているが、これが果たしてプロになるのに本当に役に立つのか? 心底疑問に思ってしまう。
 この企画を、脚本家を要請すべきシナリオ・センターが冒頭ばかりを気にして主催しているというのも首を傾げざるを得ない。

 例えば、スクリプトドクターの三宅隆太監督は、『スクリプトドクターの脚本教室・中級編(新書館)』の中で、『マクベイン(1991)』を紹介している。冒頭は良かったが、面白かったのは始まりだけで、映画全体がどんどんとつまらなくなっていったのを見て「最高のオープニングがひらめくのは危険!」とまで警告している。そして『まずは最初にクライマックスを決め、そのことで逆の発想を呼び起こし、構造化することが重要だ』と結ぶ。こちらの方が遥かに重要な指摘だろう。

 当たり前だが、「冒頭で9割決まる」ほど、小説も脚本も甘くない。

『ニンニンジャー』のこの「実家爆発」の冒頭で視聴者が皆楽しめていると思ったのだとしたら、間違いなく東映は視聴者をバカにしている。

 テレビ局や制作会社、脚本家や映画監督、出版社や小説家達は、自分達はプロだと思い上がらずに、創作の素人のお客さんから金と時間を取るのだと云う認識を忘れないで欲しいものだ。

下山健人脚本の弱点②『第一印象悪過ぎ問題』

下山健人さんが『ニンニンジャー』前年の2014年、「週刊少年ジャンプ」で10週で打ち切りを喰らった『TOKYO WONDER BOYS』のAmazonレビューに『いったん下げると上げるのは難しい』のタイトルで、下山脚本の弱点を云い得て妙な解説が載っている。
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初回から
・いきなり国内サッカーdis
・二部dis
・先輩を先輩とも思わない態度でかすぎ新人+寒いギャグ連発新人
・ふざけてるようにしか見えない監督
・ホペイロ志望にも関わらずサッカー知識ゼロのヒロイン 
とこれだけ悪印象与えてきます。
連載進めば第一印象を裏切り実は熱い魂の持ち主だったり切れ者だったり……というところを見せていく計画だったのかもしれませんが最初に落としすぎて本来のターゲットであろうサッカー好きの人にも総スカン、そのまま低空飛行で打ち切り。
連載進んでも前日の夜にゲームやりすぎて最初の公式戦に寝坊し遅刻してくる主人公など、おそらく緊張無縁の大物に見せたいのでしょうが読者には単に自己管理できない馬鹿にしか見えない、など終始作者と読者間の感覚のズレを感じさせられる作品でした。
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 さて、この解説は『ニンニンジャー』にも見事に当てはまっている。

『ニンニンジャー』もギャグが滑っているし、ふざけているようにしか見えない部分も多い。
 悪口中心の台詞回しも筆者は好きになれない。
 5人が集まって親戚同士だから仲が良いまでは良かったが、忍者の剣を渡そうとした段階で、
桃「私、まだ大学生ですから」
青「突然言われても俺もまだイングランドで魔法のレッスンが残っている」
黄「僕、基礎しか修行してないし実戦なんてやったことないから無理だよ」
 などと言い訳を並べて、使命を拒否する展開から始まる。

 これは『ジェットマン』ならOKだが、『ニンニンジャー』ではNGだ。

 何故なら『ジェットマン』の場合、レッドホーク以外のメンバーはバードニックウェーブを浴びただけの一般市民であり「ジェットマンになって戦え!」と言われても「なんでやねん!」の反論が成立する関係だからだ。
 しかし『ニンニンジャー』の場合、親戚(レッドとホワイト)の実家が敵に襲われて爆破されたと云うのに「俺達はやる気ない」とほざくのだから、あまりにも薄情な親戚と言わざるを得ない。逆の立場になって自分の実家が敵に爆破された後、レッドやホワイトが「協力出来ない」と言ってきたら、お前らはどう思うんだ? って話である。
『ジェットマン』の場合は、バードニックウェーブだの何だの話は、スカイフォースから天堂竜がやってきて、初めて聞かされる話だから、そう簡単にメンバーになりたくないよって主張にも筋が通っている。
 だが『ニンニンジャー』の場合、5人のメンバーが自分達の家柄が忍者の子孫であり、敵の存在も知っているし、忍術の修業もしていることが分かっているため、より非協力的な態度であることが強調されてしまっている。
 
 最初の5人のイメージが非常に悪いため、その後で逆転しようとしても、最初にイメージを下げ過ぎていて、印象を良くすることが難しいのだ。
 まさに『いったん下げると上げるのは難しい』である。
 社会人や恋愛の場面でも、第一印象は大事だと云うのが常識である。
 勿論、第一印象で9割決まるほど、人間関係は甘くない。その後の対応を誤れば、簡単に相手にされなくなってしまう。
 しかし、第一印象が大事なのは事実である。

 端的に云って下山脚本は、最初の「ツカミ」の重要性を分かっているのか分かっていないのか、よく分からない点が問題というのは、まさにこういうところで、冒頭で視聴者の心を掴もうとしている点は分かるのだが、一方でキャラクターの第一印象を著しく悪くし過ぎる点もあって、この人は本当にプロとしての能力があるのか? と不信感を与えてしまうのだ。

スーパー戦隊脚本の難しさ 設定と話の違い

 スーパー戦隊シリーズのファンの多くが特撮番組を多く視聴しているにも関わらず、プロになれる才能を何故か持っていない原因の一つが、
「設定がちょっと違うだけで、同じ話が出来る戦隊と出来ない戦隊がある」
 ことを理解していないことである。

 例えば『電撃戦隊チェンジマン』で、伊吹長官から「チェンジマンになって戦え!」と言われても、自然に受け取ることが出来る。
 ところが『高速戦隊ターボレンジャー』で、妖精シーロンから「ターボレンジャーになって戦って!」と言われると、ふざけんな!と思ってしまう。

 同じような展開なのに、何故違った印象を与えるのか?
 答えは簡単で、設定が違うからだ。
 
『電撃戦隊チェンジマン』の場合、主人公達は「地球守備隊」と云う軍隊に所属している軍人であり、社会人である。
 元々軍人として訓練していた彼らがアースフォースを浴びてチェンジマンとなるが、大星団ゴズマの襲撃を受けてやられている仲間達を映像で見て、「よし、俺はやるぞ!」と意気込むのは凄く自然に感じられる。

 ところが『高速戦隊ターボレンジャー』の場合、主人公は高校生である。しかも大学受験や就職などを控えた大事な高校3年生の時期だ。
 そんなとき、突然出現した着せ替え人形くらいの大きさの妖精シーロンに「ターボレンジャーになって戦って!」と言われ、その通り、戦いに燃えて没頭していくターボレンジャーの面々は異常にしか見えない。
 自分が高3の時期を思い出して欲しい。受験勉強して、その結果によって自分の将来が大きく変わるかもしれないと云う大切な時期に、悪人が出たから戦えと命令する妖精はあまりにも無責任じゃないだろうか?
 だから筆者は『高速戦隊ターボレンジャー』を視るくらいなら、『美少女戦士セーラームーン』を視た方が良いとよく勧める。同じ学生という設定を考慮した時に、戦いに積極的に参加するターボレンジャーより「なんで私がこんなことしなくちゃいけないのよ!」と泣き出してしまった月野うさぎの方が心情的・シナリオ的に正しいからだ。

 前の項目で『ニンニンジャー』を解説する時に『ジェットマン』を敢えて引き合いに出したのは、「同じような話をしても、許される設定の戦隊と、許されない設定の戦隊があること」を作り手が理解していないからだ。

 設定が違えば、同じような話は許されなくなる可能性がある。
 赤の他人の一般市民がいきなり「戦え」と言われたら「嫌だ」と言い返すのは当たり前だと思う(ジェットマン)。
 先祖代々忍者の家系で、忍術もそれなりに使えている連中が「戦え」と言われて「嫌だ」と言い返すのは、凄く矛盾しているように感じられる(ニンニンジャー)。

ニンニンジャーは劣化版シンケンジャー

『ニンニンジャー』は、『ジェットマン』と云うより『シンケンジャー』の話の変形だと思われる。
 メインプロデューサーは武部直美さんで、この方は宇都宮プロデューサーが製作した『シンケンジャー』を「うっちーリスペクト」などと言って高く評価していた記憶がある。
 だから『ニンニンジャー』も『シンケンジャー』をかなり意識していて、ストーリーの流れもかなり似ていたのだろう。

『シンケンジャー』も保育士や歌舞伎役者、学生などをやっていて、「殿に仕えて戦え」と言われた使命に関しては葛藤は抱えていたものの、ニンニンジャーよりはやる気があった。逆に、やる気が有り過ぎたシンケンブルーが殿や他の仲間からもウザがられるシーンまであった。
 細かい所だが、血のつながりが無いため主従関係に疑問を抱くと云うのも『シンケンジャー』の大事な要素である。
 一方、『ニンニンジャー』の連中は最初から使命を拒否していて、人々が襲われているのを見て、ようやく戦う決意を固めて戦うに至る。親戚の家が敵に爆破されたにも関わらず、協力的でないのだから印象は悪い。
 妹も最悪で、実家が爆発した件を兄がやったことだと勘違いしていた。
 剣を託す父親もおかしく、実家が敵に爆破されたにも関わらず、特にそのことを悔しがったり悲しんだりする描写も無かった。普通、自分の家が爆破されたらもう少し反応すると思うのだが……

 まぁ、シナリオ的には全く納得出来なかったが、特撮パートは良かった。
 巨大戦があって、合体完了まで行っていたが、筆者は巨大ロボ戦が好きだから、そこまで入れてくれたのは良かったかもしれない。

 評価は、★+。
 良い所もあったけど、粗が多過ぎたかなぁ。
 ただ、予想していたよりつまらなくはなかった。

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