見出し画像

岡本さんの味ってどんな味

【岡本 智之さんの場合-第1話】

噂の人、岡本智之さんに初めて出会ったのは、北前船の寄港地として廻船業と水産業で栄えた歴史を持つ浜崎地区でのこと。その日は「浜崎朝市」という、年に1度だけのイベントが開催されていた。

山口県漁協萩地方卸売市場 浜崎分場(旧萩浜崎卸売魚市場)と浜崎地区で行われる「浜崎朝市」
当日のチラシ


えっ、パエリアの人じゃないの !? 最初はわからなかった岡本さんのカラー

浜崎伝統的建造物保存地区の中にある旧三浦金物店を改装したレンタルスペースを訪ねると、そこに岡本さんが居た。
その日だけのパエリア会場。通りからでも透明のガラス越しに、大きなパエリアパンに次々と材料を投入する岡本さんの姿がよく見える。

「なんだ、なんだ!?」

あらかじめイベントを知っていた人達はもちろん、興味を持った通りすがりの人まで次々に覗き込んで、だんだん人が増えていく。そして岡本さんの挙動を目で追いながら、大人も子供も皆、静かに出来上がりを待つのだ。
それはまるで、『ぐりとぐら』の1シーンのようだった。

店の外からも中からも、興味津々で調理の様子を見守る地域の人たち。

「岡本さんのパエリアは美味しい」
「世界選手権にも出た」
「特別な味がする」

岡本さんに出会うまでの料理に関する噂は、だいたいこの3つに集約された。そのため私は〝パエリア専門かスペイン料理の人?” 勝手にそう思っていた。

岡本さんは調理をしながら、我々がパエリアといえばまず思い浮かべる、
“あの”シーフードパエリアは実は後発で、うさぎ肉など、山の幸を使って作るのが元来のパエリアなのだというお話をしてくれた。そんな岡本さんに、

「ずっとパエリア一筋なんですか?」と聞いてみたら

「いいえ、ちがいますよ」と、あっさり(💧)

後から聞いたところによると、実は岡本さん、本来はイタリアンシェフなのだそうだ。
岡山でオーナーシェフをしていたが、思い切って店を売却し、妻を伴い海外修業の旅に出た。帰国後にお子さんが生まれ、2018年に家族で萩市へ移住。私が出会ったこの時は、萩市地域おこし協力隊として活動していた。

その協力隊の活動の中で、萩の各地を巡って食材を提供してもらい、パエリアを作っていっしょに食べる企画『パエリャ巡礼』を行った。
おそらく地域の人たちとふれあう中で、その時とても楽しかった人、味の虜になった人たちが「岡本さんのパエリアは美味しかった!」と自慢したくてどんどん人に話すので、「岡本さん=パエリア」のイメージが一人歩きしてしまったのだろう。

岡本さんが地域おこし協力隊を卒隊し、自分の店をオープンさせてからも暫くはパエリアを推す声が多かったが、本来のイタリアンシェフの姿に戻り、様々なメニューを披露してそれを食べる人が増えるにつれ、
「岡本さんの味は美味しい」
と、各々が好きなものを挙げるようになった。

第2話「行動が変われば、見え方も変わる。海外経験が価値観を変えた」へつづく