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Looking into Oneself ① 自分自身を見てみる。

【前回のおさらい】You are not the owner of the body. 

◆「あなたの体」は誰のものですか?

・ownerではなくmanager
・友人の車を預かったというイメージ
・掃除したりメンテをしたり、状態を保つ責任がある
・勝手に手放すこと・悪用は許されない
自分のものだといちばん勘違いしやすいのは体かも
自分と「役割」とを同化しがちなのと同様
・自分のものだと思ってるから、執着したりコンプレックスをもったり。粗末にしてしまうのも、自分のものと思ってしまってるから。預かったものなら大切に使う

◆私が身体でもなく、所有してるのでもないなら、「私」ってなんだろう

「私のもの」という意識が手放せたら、どれだけの自由が得られるか
・正気=分別がある、という意味合い。ものごとを客観的にありのままに捉えられる理解を指す
・「正気」は与えられてないので、自分を役割や身体とを同一化してしまう
・「=私」「私のもの」という勘違いを手放す
・所有権がない、ということが私に自由を与える。 テャーガ=手放す行為
・実際は所有してないのに「私のもの」と感じるのは、マーヤーである
・マーヤー=それが現れることで他の性質を隠すこと。例)土が土器になることで、人は「土器(ポット)」を見て土が見えなくなる
・土地を所有してないのにマンションは所有してるとはいったい何が本質なのか、という例と同じく、「私のもの」と思っているものの本質は私のものではない
・「私の所有」という実体のない固執を手放せたら、その観念から自由になり、客観的に物事を見られるようになる
「所有」の観念は、「私」を限定する。「限られた自分」という表現
・身体も考えも感覚器官も「私」ではなく、「私の所有」でもなく、ただ、与えられたもの。では、「私」とは何なのか

名古屋駅ホームのきしめん!

◆所感

・身体的な特徴やコンプレックス、年齢etc. 自分と身体を同一視してることでの苦しみ。客観的にみることで「そういうもんか」って思える
・とはいえ、とはいえ、難しいけど。。
・「自分の〇〇(身体とか)」と自分とに距離をとるには、それ単体に対してだけではなく、感情も様々な要因・事情をも客観視する必要があるから
・勉強していても、なかなか考えが変わらないこともある。ふとしたときにちょっとでも距離を置いて別の視点ができれば
上皇后陛下の『できなくなったこと』への考え方 
・「今までできていたことは授かっていたもの、それができなくなったことはお返ししたもの」
・加齢や病気など様々な要因で、できていたことができなくなる辛さや苦しみは、誰もが経験する
・美智子さまは、「出来ないことも増えていくけど、それは神さまに与えられた能力を神様にお返ししていくこと」とおっしゃった
「出来ること」も「自分の」能力ではなくて、与えられたものという前提がある。それをお返しするという、客観的な考え方を為されている

◆ヴェーダーンタを、千春で腹落ちさせてみる

・名古屋のコンサートから戻ってきて直行で勉強会に参加した
・コンサートMCと、今日の内容とで繋がったこと
・千春の幼少期は足寄でいちばん貧乏(=たぶん日本でいちばん)という状況で、放課後は卵や割りばしを売って日銭を稼いでいた
・家は家の体を為してないので、冬は雪に埋まり春は腰の高さまで浸水して、長靴で生活してた
・千春が歌手になって売れた後、新しい家を建てた。けど、御母さん曰く「新しい家になってからみんな風邪をひきやすくなった」
・かつて何もないなら無いなりに必死に生きてきたご一家。家や金銭を所有したことで、精神的にも身体としても弱くなったのではないかという話
・千春の決め台詞「銭金の問題ではない」は実体験に基づいていて、「貧乏だったあの頃が、とても豊かで幸せだった」と
・「所有」は一見強みに思えるけど、一方で、「所有」によるしがらみや悩み、「所有」に頼る弱みにもなりうる
・「所有」は「私=身体」「私=考え」に働くけど、家族に対してもそうかも。私の母、私の〇〇。自分を主観にしてる
・千春のMCで「母親と娘は直接おなかから出てくるから、目に見えてはっきりつながりがある。男はどうよ。DNA鑑定とかできるけどけっきょく、「父親だ」という意識で以て繋がるしかない」
・勉強会では「所有は概念」という実体のないものという話だったけど、家族・人間関係も「そう思ってる」ということで成立してる・・
・封建時代で女性を「〇〇の前」とか「○〇の娘」と呼称するのも、男性から見た概念で実体化させてるんじゃないか・・??? 根深いな。。

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