見出し画像

カーテンコールは浪漫で溢れている。

「カーテンコールはやらない」と主張する演出家がいる。寺山修司は『人力飛行機ソロモン』あたりを上演していたとき、インタビューで「カーテンコールはやらない。今まで演技していた役者が急に素に戻って出てくるのに違和感がある」と言っていた。(他の作品で彼がカーテンコールをやっていたかは不明)それは、数十年前だったから斬新だったのだ。現在でも「カーテンコールはやらない」演出は時々見かける。

  しかし挨拶をしないで舞台を去るなんてとんでもない。踊り終わった後に拍手を浴びないなんて死んでもいやだ。カーテンコールをやるなと演出家に要求されたらたぶん怒りまくる。いや、そんなエゴイスティックな奴とはとは仕事しない。なぜならカーテンコールは出演者の報酬のひとつだから。

 土方巽氏が出演者を左右に引き連れてお父さんのような顔をして出てくるカーテンコールはほっこりする。大駱駝艦のカーテンコールの音楽は何度聴いても壮観である。白虎者のカーテンコールで、出演者が一人ひとり前に出て短い踊りを踊るのも楽しかった。山海塾の振り付け化されたカーテンコールも見応えがある。

 演劇の舞台での役者紹介や代表者の挨拶、裏方やスタッフが舞台に登って可視化されるのも嬉しい。SPACのカーテンコールで演出の宮城聰が登場するのは喜びだ。

 シャトレ劇場で鼓童の公演が終わったとき、演出の坂東玉三郎氏が黒いスーツ姿でカーテンコールに現れたとき、観客は深い満足感を味わった。それも歌舞伎の舞台姿ではない、普段の姿の玉三郎氏を生でフランスで見られるのだから大きな価値がある。

 もう舞台で踊ってはいない舞踊家、トリシャ・ブラウンなどが舞台に表れるのも貴重だ。「カーテンコールでコレオグラファーとして中央で挨拶するのが夢」と言う若いダンサーもいる。

 演劇の舞台のカーテンコールで、 出演者の総人数が意外と少ないのに驚くことがある。十人足らずの役者でで数十人の人物を演じている。ロンドンで「ロミオとジュリエット」を観たとき、ジュリエットの母親と従姉妹が同じ役者だった。そういうのに気づいたのも、カーテンコールがあったからこそである。

  カンパニー内での年功序列や力関係がカーテンコールでわかることがある。そういうのは上演中には現れない。カーテンコールはDVDなどには入れない(ことが多い)から、そこに臨席した観客のみが味わえる。足を運んだ価値があるというものだ。

【チェッサ】

 昭和の時代、ショウの舞台ではラストの引っ込みに華々しい音楽がかかり、観客に挨拶をしながら引っ込んだ。それを「チェッサ」「チェイサー」という。米軍キャンプを回っていて米兵の言葉を聞いて生まれたバンド用語と言われる。チェイサー(英語: chaser)とは追う者、追撃者の意味である。「 チェーサー」とも表記する。 バー用語で強い酒をストレートで飲む場合、続けて口直しに飲む水、炭酸水や軽い酒のこと。(Wikipedia 引用)

 ダンサーによって、バンドによってそれぞれ「チェッサの曲」を持っている。大抵は自分の一番好きな曲、華々しく前向きな曲を選ぶ。私はチェッサ用に曲を作ってもらって使用していた。チェッサのないショウなんてありえない。チェッサは60−80年代に活動していたバンドマンやダンサーにしかわからない言葉で、現在は殆ど使われていない。

 そのようにカーテンコールには浪漫が一杯詰まっているのである。カーテンコールをやらないなんて、勿体なすぎる。 

 私がカーテンコールを絶対に絶対にやる理由の一つは、カーテンコールをやらない舞台で良い舞台を今までに見たことがないからだ。

 無音の中を出演者がすごすごと観客に背中を向け下がっていく。観客はしばらく待っているが、ざわざわし始め、「えっ?終わったの?」「帰っていいの?」と口々に言いながら白けた雰囲気の中で席を立ち、出口に向かう。ああ、不憫だ、情けないし可哀想だ。観客も出演者も幸せにならない。その中で演出家だけが得意顔なのだ。それが斬新な演出だった時期からは何十年も経っているのに。カーテンコールをやらない舞台で良い舞台を見ることがこの先あれば、考えも変わるかもしれない。

 上の写真は2012年のパリ公演。撮影は宮本武さん。この舞台の初日では、カーテンコールを儀式的に演出したので、作品がまだ続いていると思われ拍手が来なかった。完全に引っ込んで初めて拍手が来た。写真は二回目のカーテンコールである。皆がホッとした表情をしている。拍手は何が何でも貰わなければならない。そう。死んでも拍手は浴びなければならないのである。

有科珠々


ありがとうございます。いただいたサポートは取材や研究に使わせていただき、コンテンツの充実に努めます。よろしくお願いします。