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なぜダンスの公演には前座システムがないのか?

 音楽のコンサートには前座システムというものがある。チケットを買ってコンサート会場に行くと、見知らぬ演奏家たちがわらわらと出てきて見知らぬ音楽を奏でる。そして場が熱し、聴衆/観客にも十分に心の準備が出来、期待が高まった頃に目当てのグループが登場する。聴衆は一粒で二度美味しい宵を過ごし満足しながら帰途につく。(前座を置かないコンサートも存在する)

 ところで、ダンスの公演では何故、音楽のコンサートのような前座システムがないのか?

 前座システムは素晴らしい。多くの観客が見込めるビッググループ(便宜上これから大グループと呼ぶ)の前に若手のあまり売れていないグループ(これから小グループと呼ぶ)が入る。前座システムは大グループ、小グループ、観客、オーガナイザーの4者にとってメリットがある。
(落語や格闘技や仏教僧の前座は、これとは別物なので別の機会に)

前座システムのプラス面

観客にとって

 おまけがついてくるわけだから、お得感がある。知らないグループをディスカバーする機会にもなる。

オーガナイザーにとって

 催しをより充実させることが出来る。若手の育成に役立つ。小グループが将来お金を稼ぐグループになればプロダクションのメリットになる。観客動員が少ないグループと多いグループを抱き合わせることによって両方に観客が入る。

大グループにとって

 登場する前に会場が暖められている、大グループの価値を増幅させる、様々な調整が効く(例えば、大グループが何らかの理由で提示に始められなかった時、前座の演奏を少し長めにしてつないでおいてもらうこと、などが出来る)

小グループにとって

 売れているグループの観客全員に演奏を聴いてもらえるのは大変なメリットだ。ツアーを一緒にすれば場数が踏める。大グループと同じ環境が享受できる。例えば、武道館のコンサートに前座で入れば武道館の楽屋が使え、武道館の照明、音響のあるステージに立てる。自分の力だけで武道館に立つのは到底無理でも前座であれば可能である。
 観客動員をしなくてすむ。新人が場数が踏めないのは観客動員が出来ないからであるが、場数を踏まなくては成長しない。この問題が解決する。
 観客の中にはこれをきっかけに小グループを気に入ってくれる人もいるだろうし、コンサートで聴いた音源を買ってくれる人もいるかもしれない。とにかく最初は露出しないと何も始まらない。 数年前座をやって、あとはぼちぼち自分の力でやっていけるようにすれば良いと思う。最初から自力だけでやっていけるわけがない。

 もしも三十数年前に前座のような機会が自分にあったら、今の自分は変わっていたと思う。 

そこで

なぜダンスの公演には前座システムがないのか?

 世界の何処かにはすでに存在するかもしれない。けれど一般的にショウビジネスとしての前座システムはない。その理由は以下のものと考えられる。

ダンスの公演に前座システムがない理由(ビジネス的側面)とその対策

1)大グループ、小グループを抱えてオーガナイズ出来る組織がダンスにおいてはあまり存在しない。
対策:大グループのプロダクションが小グループを外注するというかたちで行えばスムーズである。

2)何千人、何万人という観客動員が可能で大きな収益を上げ、ツアー出来るビッグネームのダンスグループがあまり存在しない。

3)上下の区別がつけにくい
音楽の場合は、 レコード(音源)の売上という、はっきりと数字に表れる判別法があるが、ダンスの場合は判別がしにくい。キャリアの長いダンサーの観客動員が多いというわけではない。

3)ダンスの公演は助成金で成り立っている事が多いから、助成金を受けていないグループを共に立たせることが出来ない。
対策:大グループが助成金を受ける条件の中に前座を入れることを含ませれば違反にはならないかも。

4)2つのグループの懐が異なる(収入の落ち着き先が違う)と予算の収支が煩雑になる。

対策:小グループは固定給にして買い取りにしてしまえばいい。マテリアルの購入費用と同じ扱いになるから煩雑さは避けられる。そのためには小グループは、プロダクションはグループ内で保持し商品となるパッケージを作ってしまわなければならない。

そうなると小グループの方も、あまりにも駆け出しでは無理だ。少なくとも商品となるパッケージを作れるくらいの技量は必要。

5)アゴ足枕(食費、移動費、宿泊費)が余分にかかることになる。
 対策:大グループ側のメンバーの数やスタッフの数が増えたのと同じ扱いで処理できる。

6)宣伝の煩雑さ   
対策:前座はコラボではない。ポスターや宣伝媒体には前座の名前入れない。プロダクションが複数の大グループと複数の小グループを抱えていれば(理想的には各地方、各国に)組み合わせを変えることも出来る。組み合わせを変える度にポスターを刷り直す必要はない。観客の動員は大グループの力にかかっている。

 そうしてみると、大グループ側の金銭的メリットは薄い。小グループはチケットの売上には貢献しない。前座がいてもいなくても収入は変わらないのに支出は増える。だから新人を育てる、という意欲がないと無理である。

 ショウビジネスを単なるビジネスとしてやっている芸能者の人々は、ロングスパンで行動していない。今、売れるものを売る。それが売れなくなったら除外して次に売れる別のものを売る。年月をかけて育てるということをしていない。

補記・心理的側面その他

「もうすでに売れている人にくっついておこぼれをもらう」輩は、いつの時代にも棲息する。しかし、前座はビジネスの形式の問題だから勢力、声望のある人にすり寄るコバンザメのような輩とは心理的に異なる。

 聞けば、音楽のコンサートにおける大グループと小グループは楽屋も移動の車もリハーサルの時間帯も別なので、ほとんど顔を合わせることがないと言う。すれ違えば挨拶くらいはするが、小グループのメンバーが大グループのメンバーにお茶を出したり衣装を片付けたり、「お兄さん」「お姐さん」と呼んだり、そういう義務はないらしい。さらりとした関係なのだ。

 大グループと小グループの間に師弟関係、主従関係がなくても構わない。むしろ無いほうがいい。単に「売れているグループ」と「まだ売れていないグループ」で扱われればスムーズだ。しかし旅客機で大グループのメンバーはビジネスクラスで小グループのメンバーはエコノミークラス、とか、楽屋弁当の値段が違うとか、そういう差は当然あると思う。

 思うに時代的にすべてが簡略化され、さらりとした関係に変わりつつある。私が駆け出しの頃は数年先輩の影も踏まないようにしていたが、今では数十年も後輩のダンサーたちが私の影を踏みまくっている。しかし踏まれても私は私であるし、何かが壊れることはないし、そうなると嘗ての旧い制度って何だったのか?と疑問を持たざるを得ない。

対バン形式

 前座や高座の区別なく、複数のグループあるいはソロのダンサーが同じ日に出演するジョイントライブのような催しは音楽にもダンスにも多々行われている。しかし、それはそれで問題あるんだなあ、

中間層はどうなる?

 前座をするにはキャリアも積んでいるし、もう若くもない。前座をつけるほどには興行的な力が足りない。コンテンポラリーダンスや舞踏や新興のダンスではそういう中間層がほとんどである。ということは前座システムなど絵に描いた餅。そこに相当する人はだれもいない、というオチ。だからそこに相当する人をまず作っていかなければならない、という長い話。

とりとめないですが、続きます。

有科珠々

Photo :音楽コンサートの適当な写真が見つからなかったので、フリー素材を使わせていただきました。

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