見出し画像

真面目な人とゆるい人ではどちらが好ましい?

私が書いた文章ってなんで自分に刺さらないんだろう、と思って考えてみた。
そしたら、抽象的というか思想チックな内容が多くて共感しづらいからじゃない?という点に至った。
それを踏まえて、感情や実際に起こった出来事に近い文章を意識していきたい……


最近人と仲良くなりたいな~ということをよく思う。
好きな人への接し方を振り返っていて、距離が近い相手に私は自分の事を知ってほしいと思っていることに気づいた。
逆に相手のことももっと知りたいとも思ったし、そうしてお互いのことを知っていくというのが私の「仲良し」に近いと思った。

でも実際に人に自分の事を伝えるのはとても億劫。
「いらない情報だよな~」とか「これを言っても伝わらないじゃん」みたいに、思いついても言わないことは結構多い。
特に授業だとか、バイトとかで関わる相手に対しては引いてしまう。

部活の仲間に対してもラインの文面は敬語だし、口語でメッセージを送りたいなと思ったり。
また、近めの人との合奏を進めるときも「皆さんどう思いましたか?」と言ったりして、少し緊張感を与えてしまっているかもしれない……
敬語が楽なのはどうしようもないのか?


あと、力を抜くみたいなことが苦手なのかもしれない。
誰だってゆるいテンションの時に堅苦しい話はしたくないのに、緩め方が分からなくてズレてしまう。
真面目にやろうとすると遊び心が足りなくなるし、電池が切れると真面目な話には本当についていけなくなるし。

関連して、雑談の仕方はもうずっと分からない。
波長が合わないね~というか、面白いとか自分がその輪に加わりたいと思うことがあまり無い。
申し訳ない気持ちはあっても、そういうノリの時は一人離れて面白いと思うものを見つけ、それについて考え事をしている。

周りの楽しいを尊重したいのはありつつ、自分の楽しいを優先してしまうということかもしれない。
でも、私の楽しいを分かち合えるような人も何人かいて、そういう人とは楽しい時間を過ごせている訳で。
合う合わないと言って切り捨てる部分はできるだけ小さくしていきたい。

力の抜き方でいい具合と思ったのは大好きな曲の合奏をしているとき。
本当にいいな~としか考えられなくて、「何をしましょうか~」みたいに終始~を付けて話してしまった。
その瞬間を良いなと心から思えて、それでも少し上を目指そうという心構えだと良い具合に気を抜けるのかもしれない。
少し浅瀬で遊ぶようにしていきたいね。


今はそんな感じで、堅苦しくなくゆるやかなふるまいを目指している。
このnoteも若干緩めのテンションになっていたらいい🙏

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?