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「UNDEAD」に勝手な解釈を加えてテンションを上げる

気分とか感情とかエモーションに食傷気味になってきた。
味がしないというかくどいというか。
こうして落ちて振り切れてのサイクルを繰り返しているので、もう慣れたものではある。
でもこうして振り切れる時期は毎回「そろそろ解脱したい」と考える。

このnoteでは抱えていたガラクタを短時間で吐き出していく。
読まなくても、読み返さなくてもいいです。


今回のきっかけはYOASOBIの新曲だった。
物語シーズンの主題歌、人ならざる化物の目に映るシニカルというか軽やかな歌詞みたいなものを受け取って、「全部どうでもいいじゃん」となった。

生きていることとは変わり続けることだ
不幸に甘んじて満足するなよ
幸せになろうとしないなんて卑怯だ

UNDEAD / YOASOBI

物語、フィクションの受け止める程度については時間的な差が激しく、まるで現実のように重く受け止めることもあれば、「それが何になるの?」というように軽んじることがある。
「刺さる」で片づけるのは乱暴だけど、大きな意味を持って見えた。


生きていることとは変わり続けることだ

好きなものは時期によって変わり続ける。
最近は部活が本当に好きになれなくて、大切なものなのに輝いて見えなくて、その矛盾に嫌気がさしていた。

時間的な変化に加え、他人との相対的な違いもあった。
目指す演奏やそのために共有したいもの、本番に対するスタンスの違いなど「分からない」と嘆くことが重なっていた。

一貫したもの。
分かりあうこと。
これらはいう間でもなく素敵なことだと思う。
それにばかり目を向けて、変わっている/変わっていく面白さを見てあげられなかった。
勿体ない!


不幸に甘んじて満足するなよ

辛い、悲しい、ごめんなさい、分からないといった感想に支配されて、そこからさらに前を見ることが出来ていなかった。
目の前の濁りを噛んで受け止めることは悪いことではないけど、そこに昇華というかアウフヘーベンみたいな転換がないと面白くない。
楽しくないよねって。

それに、感情的にふるまって周りの人に窮屈な気持ちを味わわせてしまった。
今回のふるまいで一番反省しているのはそこだ。
ひとりよがりな不幸よりも良いものを知っているんだから、そこを目指しなさい。


幸せになろうとしないなんて卑怯だ

メンタル系の読み物とか動画では自分を労わる優しい言葉を受け取れる。
それは適切だし、求めているものだし、分かりやすいものだけど、そこで落ち着いてはいけない。
何よりつまらない。

多少の矛盾や意味不明を抱えていても、軽やかさと面白さを持ったメッセージや人に心惹かれる。
そこを見失わないように!
頑張っていこう。

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