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博物館を揺蕩いながら、あにみずむ

夏の特別講習が今日から始まった。
一週間毎日どこかの博物館に行って、そこを鑑賞していく。
学芸員の資格を取るための授業だが、単に色々見て周るという内容に惹かれて、これから訪れる施設を楽しみにしている。

今日は自然史博物館を訪ねた。
前にも来た場所で展示は一度味わっていたので、空想を楽しみながら見て周ってきた。


お気に入りのgirls, dance, staircase(リズと青い鳥の劇伴)を聞きながら展示を見ていった。
以前なにかの記事で、このサントラは「学校にあるものたちが登場人物を取り巻いて見ている様子」をイメージして作られたと読んだことがある。
それ以来、この劇伴は聴いていると様々なものが何かしらの人格を持っているように思えてくる。

似たような感触は魔法使いの嫁を見ているときにも感じた。
作中の世界では妖精や精霊という存在があり、彼ら彼女らとの関わりを通してキャラクターが成長していく話だ。
普段は物として認識している対象に性格をイメージすることで、世界がより優しいものであるように感じられた。
アニミズムという言葉があっているかもしれない。


それで、博物館の展示にも人格を感じながら見ていった。
太古から現代にいたるまでの動植物の化石、隕石、岩石など、形を持ってから長い時間を経て展示のショーケースに収められていた彼らには存在感があった。
総じて静かで、もちろん動きなどはしないのだが、姿を提示するということ自体に含まれるメッセージを感じた。

私が考えてきたよりも果てしなく長い時間を過ごし、あるいは地球外の遥か彼方からやってきたものがそこに一堂に並べられていることは、それを眺める私の矮小さを際立たせて、ただ等しく存在しているだけだと知らしめた。
私がだんだんフラットになっていた。

実在とそれに対する仮想の存在の間にはどのような違いがあるのか。
これもエウレカの残り香かもしれない。


物事を好きになる上で、万物に人格を認めることは一つの良い方法であると思う。
今まで色んな作品に触れてきて「この作品が存在する世界は何と素敵なんだろう」、あるいは「この物語のおかげで明日から生きる勇気をもらえた」という感想を何度か抱いてきた。
例としては「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」や「中二病でも恋がしたい!」、「明日ちゃんのセーラー服」などが思いつく。
そういった感想を構成するのは、第一に魅力的なキャラクターであり、次にそのキャラクター同士の関係性である。
物事の性質から世界への愛を導くのはまだ想像力が足りないが、キャラクターからならば可能になると思う。

一度そのような見方を試してみる価値は十分にありそうだ。


おわりに

30分ほどで1000字のnoteを書き上げていきたい。
今は一時間ぐらいかかってしまったので。

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