32-人生の意味

いま、雨が降ってる
コーヒー畑の横
鶏が 空高くに鳴いてる

意味 っていう字は

立つ日の心の味
今日という日に心で感じる味わい

人生の意味は
求めたり探したりするものじゃなく
味わうもの ほらここにも
漢字ってすごいわ

小笠原の空で育った
コーヒーの味は甘く深く優しい

そんな いまの味わい
人生の意味はそんなもの


だから
頭で考えるような
意味はない

意味のあることを したい

意味のあることを
しないと意味がない


そんな風に 意味を求めて 求め続けて
味わうことを忘れてる

意味があると思い込んでるものは
実はもうすでに やり終え味わいおえた
ことであるのかもしれない

一回味わった味を
なんどもなんどもなぞらえて
それだけを繰り返すのって
なんとなく退屈

うちは 無意味って言葉が好き

なにも考えず
ただ いまにいられるから

そして 無意味のなかにある
意味の味が 好き

いまはまだ 無意味だとしか
思えないことのなかに
ある日、突然 意味の味を見出す

そして WE が広がる

みんなが 意味があるという壁のなかに
自分を押し込めて
すでに誰かが 見出した意味を
後追いするだけじゃ つまんないもん

変わってる
変だ
わかんない

意味がない
そんなのおかしいよ
ってことのなかでさえ
落ち着いていながら
その味わいを感じられたら最高やん

いま、世の中で うちらが
まだ見いだせていないものを見出す

そんな無意味の意味を
感じられるうちらでいよう

世界にはいろんな人がいて
その存在をそのまんま許されているとしたら
それを受け入れられる器が うちらにはある

それがうまくできないことを 可笑しみながら
ちょっとずつちょっとずつ広げていく

ちっぽけな意味とか 価値とかで
WE を縛るんじゃなくて

広げる 感じる 味わう

価値のないとおもわれてるものに
価値を見出し

意味のないと思われていることのなかに
光をみる

人生の意味を探してる間に
それを十分に味わって
また 次の味わいへ

そういえば 味という字は
口が未だ 感じていないこと
と書くんやね

知らないことを
知っていることが わかること

なにかを知った瞬間に
もっと知らないことが増えたりして
それがなんとも 愛おしい


意思とか意図っていうことも
実は個人としては持ちえなくて
うちらは WE の 大いなる 意思の元に
活かされてねんから

頭の中で忙しく
自分の正しさを証明しようと
やっきになってるその子を
ギュって抱きしめて

シー
大丈夫、
そんな一生懸命
必死でがんばらなくて
うちらは大丈夫

っていってあげよう


なんかスピリチュアルみたいなことに
なってきたけど そういうことでもなくて

意味とか意図とか意思とか
あんまりにも 働きすぎてる 頭くんにも
安心とお休みを あげよってこと

その子は必死に
YOU を守ろうとしてるねんもん

エゴとかいうて 邪険にせんでええねん

エゴはエーコになろうと頑張ってんねんから


そのまんま 力を抜いて
ただ いまというこのときを
ゆっくりゆったり味わう

いつか死ぬその時まで


もう一回言う

人生に意味なんかない

それを見つけた気になっても また次がくる
味わったあと 美味かったんか 不味かったんか
辛かったんか 甘かったんかはそのときそのとき
いろいろやろうけど たっぷり味わってな

すべてには味がある
だからほんとは全部に意味がある

だからわざわざ意味のないものと
意味のあるものをわける必要なんてない

無駄 も ええやん

時間の 無駄
お金の 無駄

無駄遣いを できるほどに
豊かさのなかにおるってことやもん。

WE のすべてに 意味があって
WE のすべてに 無駄がないとしたら

無意味や無駄ととらえているところにこそ

アドベンチャーして
ダイブして
新大陸を発見しようよ

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